先日アップロードしたブログ、一夜明けて改めて読んでみました。
感想は ひどい の一言につきます。笑
もちろん、誤字脱字が多かったというのもありますが、私のエピソードが酷すぎます。笑

今回はその言い訳…失敬、間違えました。
その後私の思想や思考がどう変わってどう変わらなかったのか、というお話しをできたらと思います。
言うなればアンサーソング編みたいなもんです。
興味ある暇人の方は読んでみて下さい。

前編読まなくても読めると思いますが、前編読んでからの方がスッと入るかもしれません。


あらすじ
メンタルモンスターだった私は、会社で傍若無人に振る舞い、孤立無援に。
それでも全く凹まず、その言動のやばさは日に日にエスカレートしていく日々。
そんな時、異動で上司となった主任と出会い、彼の心の美しさに浄化され、ついに私は発達障害の診断を受けた。
発達障害という“理由”を得た私は喜々として周囲にその事実をカミングアウトする。
しかし、「私の様なとんでもない振る舞いをした人間が発達障害を語ったことで、発達障害のイメージを悪化させたのではないか?」
という疑念に囚われ、「他の頑張っている発達障害の方の足を引っ張る結果になってしまった」と、人生で一番反省する。

さあ、すごいスピードで前編をまとめました。笑
前編、1.5万文字くらいあったみたいですが、こんなに短くまとまりました!笑
どれだけ無駄な文章入ってるんだよ!って感じです。
基本的に私は文章作る時も話す時と同じで、構成や全体を考えず、思いつきで書いたり話したりします。
だからあっちいったりこっちいったりでわかりにくいと思います。
いつか文才のある人がきっと綺麗な文章にまとめてくれるはず。(頼みますよ、みさこさん!笑)

さて早速脱線しましたが、本題です。


私は脚色抜きに人生で普通の人の100倍は怒られていると思います。(何を持って普通の人なんだかわかりませんが)
前編を読んだ方なら「そりゃそうだろ」と納得するんではないでしょうか。
しかし、100倍怒られているにも関わらず、まともに反省した回数は普通の人の100分の1くらいではないでしょうか?
ぶっちゃけ、人生で数えられる程しか、反省した事ありません。笑
もしかして100分の1というのは楽観的見込みかもしれないですね。
まあでもこれは至極当然で、反省して「次から気をつけよう」と思える様な人間ならそもそも100倍も怒られません。
それに、100倍怒られていたら、いちいち反省している時間も余裕もありません。
鶏が先か、卵が先か ではありませんが、
反省しないから怒られるのか、怒られすぎてその結果反省しなくなるのか 果たしてどっちが先なのでしょうか。
物心ついたころには既に【怒られる でも反省しない】という“ちひろハッピーセット”が出来上がっていたため、私にはわかりません。笑
答え知ってる人がいたら是非教えて下さい。(割とマジで)
そして、くれぐれも誤解を生まないよう言いたいのですが、怒られると一応“凹み”はします。
でも立ち上がるスピードが尋常じゃありません。何故かというと「私悪く無いやん」という答えにたどり着くからです。
ほら、反省する暇ないでしょ?笑
「私悪くないんだから凹まなくていいじゃ~ん^^」ってのがメンタル復活スピードの速さの秘訣です。(危険ですから真似は自己判断でして下さい。かつての私の様にならないように。笑)
世の中でメンタル強い人のほとんどはこういう自己愛の強さを持っているのではないでしょうか。
※今はかなりまともになったはず!ですので、どうぞご安心を。

そんな私が胸を張って? 反省したのがこの時です。
反省の前にまず凹みました。
「何てことをしてしまったんだ」「自分は世界で一番悪い人間だ」
「人の役に立つどころか、周囲の人間、引いては会った事もない人にまで迷惑をかけている」
とにもかくにも沈みました。
三度の飯より飯が好き!(意味不明)ってくらい、ご飯が大好きだったのですが、この時期は何を食べても美味しいと感じなくなりました。
時同じくしてコンサータを飲み始めていましたので、食欲が減退していたのも原因だったと思いますが、体重は一か月で8kg減りました。
私史上、成人してから体重50kg切る事って、本当に無くて、
唯一あるのは学生時代実習で寮生活だった時に、1日3食しか食べなかったため48kgまで痩せてしまったという経験くらいです。※つまりいつも3食以上食べていました
学生時代は致し方なく痩せてしまっただけで、食欲が無くなって痩せるという経験はこの時が初めてでした。
頬はコケ、死相が出ていて、色んな人に「大丈夫か?」と声をかけて頂きました。(ありがたい事です)
私は本来、(こんなにハチャメチャ言動をしておりましたが)人を笑わせたり、人に喜んでもらう事が大好きな人間です。
別にいい人というわけではありません。
笑ってもらう事こそが私にっての一番の幸せだったのです。
ある意味、笑ってもらう事は私にとって“認めてもらえた”という感覚に近かったからかもしれません。
そんな私にとって、人から心配されるというのはどうも落ち着きませんでした。
こんなに心配されたのは人生で後にも先にも無いのではないでしょうか?(そうであって欲しいです)

不思議な事に、あれほど人から悪意を向けられてもなんとも思わなかった私ですが、多くの人に心配される事に対しては「(こんなに心配という迷惑をかけてしまっている)ここは私の居場所じゃないんだ」という思いが込み上げて来たのです。
居場所を失った(と感じた)私は、手探りで情報を集めます。
発達障害の方のブログを読んだり、SNSを見たり…
これが結構気持ちを明るくしてくれました。
「あ、みんな結構やらかしてるやん。私だけやないんやな」という具合に。笑
だから私もこの超長文のやらかしブログを書いています。
これを読んで「自分は全然マシじゃないか!なんか希望沸いてきたぞ!」という方が1人でもいれば、大勝利です。
今までの経験も無駄じゃなかったと思えますね。

話を戻しますが、発達障害の当事者の声をネットで拾う事がある種の“救い”になっていた私は、とうとう“当事者会”というものに参加する事にしました。
同じ悩みを持つ者同士が集まり、語り合う場…けっこう抽象的ですが、当事者会とはそういう場でした。
私が参加した当事者会は、各々で“私の取り扱い説明書”を書いてシェアする、という企画をやっていました。
「うわ、嫌だな」と思う方もいるかもしれませんが、私は結構楽しかったです。
“みんな同じだ!”と思い、勝手にすごく親近感を持った私はかなり語りました。
今から思うと全然同じではなく、私は正直、当事者会でも浮いていましたが…まあ相変わらず本人は気づきません。
私の今までのエピソードを語ると、「え…それは…強いなぁ^^;」と皆さん困っていましたが、私からすると“受け入れてもらえる場だ!”と感じてとにかくマシンガントークでした。
そして、もっと面白かったのは他の参加者たちの語りです。
その当事者会は確かADHD限定のものだったと思いますが、もちろん皆さんのエピソードにはたくさん共感できました。
でもそれ以上に私を惹きつけたのは同じ発達障害なのに“全然共感できない人”でした。
このブログを読んで、私の考え方を「めちゃくちゃやな」と思った方はかなりいる事でしょう。それは私自身も自覚するところで、かつての私の思想はかなり偏っていまいましたし、決して正しいとは言えません。
ただ、”完全に間違っている”=”逆の考え方が正解”だとも思いません。
私は、この当事者会で自分と全く逆の考え方をした当事者の方に出会い、気づきを得ました。
彼女は「私がすべて悪い。私が発達障害だから、家族にも会社にも迷惑かけている。世間の皆様、ごめんなさい、できる事なら消えたい」という考えで、「私は全然悪くない。わかってくれない社会が悪いんだ。」という私とは全く逆の考え方を持っていました。
しかし、どちらにも共通していたことは幸せを感じていなかったという事です。
彼女との対話を通じて、どちらが正しいという事もなければ、どちらも完全に間違っているという事もなく、必要なのは“バランス”だとお互いに学び合う事ができました。
全て自分が悪いと思っていた彼女にとっては、私の様に「自分だって頑張ってるんだし、せめて自分が自分を責めるのだけはやめよう」という考えは目から鱗だったようですし、私にとっても彼女の話をきいて「なるほど、そういう時に人は“迷惑”と感じるのか」という経験則と、“謙虚さ”を学びました。

お互いの“できない”ところをシェアし、考えたことで新たな気づきや学びがありました。
そして、私はこの学びからある仮説を立てました。
①彼女の様に発達障害を周囲に理解してもらえず自己嫌悪に陥り、”困りごと”を一人で抱え込んでいる当事者
②私の様な傍若無人な発達障害が周囲におり、行動の全てが理解出来ず、振り回されメンタルを病んでしまっている健常者(時には個人ではなく、組織やシステムであることも)
この2者をどちらもケアする必要があるのではないか?という仮説です。
かつてに比べ、発達障害の知名度はかなり上がりました。①の当事者については、ここ最近スポットライトが当たる機会が多くなっていますね。(良くも悪くも)
一方、②の人たちはどうでしょうか。
私たち当事者同士で語るとき、よく「わかるわかる!あるあるだよね〜^^」っていう言動も、彼らからしたら理解不能で、どうしていいかわからず”困りごと”を抱えているんではないだろうか
と私は考えました。
当事者側がいくら「理解してほしい」「配慮して」と主張しても、発達障害を持つ人と関わって、実際に困っている②の人たちをケアしないと相互理解や適切な配慮はされないのではないだろうか。だとすれば②の人たちの困りごとを解消していくのも大事なのでは?
もっというと、①と②の間には本質的な差異はなく、”困りごとを抱えている”という問題点における解決策は表裏一体なのではないだろうか。
両者の視点から最適解が導き出せるのでは?
そのためのステップとして、当事者という立場から、私たちだからこそ理解できる視点を生かし、②の方々(周囲の発達障害に困っている人)の困りごとを解消できないだろうか?歩み寄れないだろうか?
かなり抽象的かもしれませんが、これがでこ女の起点です。(すみません、文章わかりにくすぎて…理解できた方はすごく理解力あると思います。もしわかりやすい文章に直せる方がいたら是非お願いいたします笑)
具体的に何をどうするというのはありませんでした。
でも、その時決めてたのはこの壮大なミッションを私一人ではなく、みんなに手伝ってやってもらおうということです。
流石図々しい私です。笑
発達障害と一口に言っても特性や個人の性格はバラバラです。
私は自分一人の視点でみて、考え、それで失敗しました。そして自分という人間の無力さを思い知りました。
人が多ければ多いほど”力”は強くなります。
「この壮大なミッションを一緒に乗り越えてくれる当事者の仲間がいるな…それもできる限りたくさん!」
「当事者会で集めれば、①の人たちのケアも出来るし、一石二鳥でね?」
とこの辺までぼんやりと考えていましたが、何せ具体案は全然ありませんでした。
ここでまたしても私に大きな転機が訪れます。
その日は東京に出張でした。
「夜暇だな~」と思った私は衝動的に高校時代の友人で東京に住んでいるみさこさんに「夜有楽町で会おう」と誘いました。
私はみさこさんに自分のここ数か月のエピソードを話すのが楽しみで、会う前から相当わくわくしていました。笑
「きっと驚くだろうな~」と彼女を待ちながらニヤニヤしていました。(発達障害を告白するのにワクワクする事ってあんまないですよね)

しかし、面を食らったのは私の方でした。
私「おい!聞いてくれ!すごい事があったんだ!うちね!なんとADHDだったんだよ!!!」
みさこさん「…ん?…あ、ごめん知ってた。」
私「え…」
みさこさんからすると全然驚かなかったそうです。むしろ「え?今更?」くらいのテンションでした。笑
それよりも私はみさこさんの次の一言に驚愕します。
みさこ「いや~…なんかさ、このタイミングでその話されるってすごいタイミングだわ。うちも実は発達障害の診断が出たんよ。」

な ん と

みさこさんも発達障害だというのです。
この衝撃たるや…自分がADHDとわかった時以上でした。
何故なら彼女はいわゆるコミュ神で、クラスに一人はいる“誰とでも仲良くできるいい奴”ポジションだったからです。
(実際は良い奴というより、むしろ“圧倒的に他人に興味がないから優しくできる”というのが彼女の素顔で、私はそこが好きで仲良くなったのですが、クラスのみんなは騙されて?いました笑 みさこさんを貶すつもりはなく、むしろ好きなところです)
 とにもかくにもみさこさんのカミングアウトはすごい衝撃だったわけですが、思い返してみればあるぞあるぞ思い当たる節…ヒントが!
思えば彼女の得て不得手は常軌を逸していました。
高校時代、読書の時間があったのですが、みんなが静かに一冊の課題図書を読む中、彼女の机の上には3冊ほど平積みになっており、彼女が今読んでいる本と合わせると4冊ありました。
暇だった私は彼女を観察すると…雑誌を読むかの如くパラパラと読んでいきます。
「うわぁ。あいつ集中力ねーな。本もまともに読めないのかよ」と私は思ったのです。(まぁ本当に集中力なくて本もまともに読めないのはみさこさんを観察してた私ですけどね)
休み時間、私はさっそくみさこさんに言いました
私「おめー飽きっぽいな。こんだけ本出して全部まともに読んでへんやろ」
みさこ「え?全部読んでるけど。てか読み終わったから二周目やで」
私「は???嘘こけや!じゃあさ、これのどこどこのストーリー説明してみろや!」
みさこ「すらすら」
私「じゃあこっちの本!!!」
みさこ「すらすら」
という問答を何度かやり、みさこさんは全て軽く答えていました。
それでも信じられなかった私は、読書の時間の度に彼女にちゃんと読んだのか問いただしましたが、やはり結果は同じでした。(正直、私は全然本を読んでないから答え合わせすら途中から出来なくなりましたが)
彼女曰く、文庫本程度なら十数分?(正確な数字覚えてないです)で読めるらしく、本屋に行けば立ち読みで最初から最後まで読めてしまうので、買う本というのは2周目を読みたい本だけ…だそうな。意味不明ですね。笑
そんな事あってたまるか!と思った私は、「絶対嘘や!絶対に信じひんからな!あんま調子乗んなよ!」と当時きつく言った覚えがあります。(今から思うとみさこさんは何故私と友達になったのか笑)
しかし、そんな私を嘲笑うか如く、教室にある本を読み尽くしてしまった彼女は、ついに読書の時間に”国語辞典”を読み始めたのです。
これには私も思わず「きもっ!!」と言いました。笑
“小学校の頃に読んだときと比較して表記が変わってて面白い”だの”同じ国語辞典でも出版社によってこうも個性が出る”だのわけのわからん事を延々と語っていました。
そしてその能力は数値としても表れていました。
科目で言うと現代文にかかれば間違いなく校内で1番、県内でもおそらく1番、全国模試でも2位に入っていた事がありましたし、文章に関する能力が突飛していました。(古文と漢文が足を引っ張り、”国語”としてトータルでみるとただの得意な人でしたが、現代文に限るととんでもなかったですね)
受験前は先生ではなくみさこさんに小論文の添削をしてもらっていた同級生もいたくらいです。(しかもその同級生は早稲田に合格しました笑)
しかしみさこさんの意味不明なところはそれだけ国語力があったにも関わらず、何故か理系を選択した事です。(だから私と同じクラスだったわけですが…)
彼女の理数系の能力は脚色抜きに終わっていました。
テストで10点超えたらその年で一番いい点数になる位、一桁代の点数しか取れていませんでした。学年でも数学の順位はワースト10常連だったと思います。(年間平均だとワースト1かもしれません)
誰が見てもとんでもない凸凹だったにも関わらず、彼女は何故か理系を選択しました。
これに関し、私もほなみさんも散々「文転※しろ」と言ったのですが彼女が文転したのはセンター試験の後でした笑(※理系から文系に変えること)
彼女の能力的な凸凹はかなり重度というか、こんだけハッキリしている人も珍しいのではないでしょうか。彼女は凸が一般人を凌駕していましたので、ある種”天才”という事でそこは羨ましい限りです。
あ、ちなみに私はどの科目もダメなのび太タイプでした!笑
しかも性格はジャイアンタイプという…発達障害のサラブレッドかよ笑
思ったよりみさこさんのエピソードが長くなりました。(まだまだありますが)
彼女のカミングアウトは確かに衝撃でしたが、その発言を受けた瞬間、私の中で彼女のこういうエピソードがまるで走馬灯の様に瞬時にフラッシュバックされたのです。
まさに推理ドラマの最後の謎解きシーン、みたいな笑
私の中で、すぐさま彼女が発達障害という事に納得がいき、そしてその瞬間、あまりにも可笑しくて大爆笑してしまいました。
「なんて酷い奴だ」と思うかもしれませんが、エピソードを思い出すと、「たしかに!」という気持ちしか出なかったのです。
そして私が発達障害をカミングアウトしようと思ったのに、まさか逆にカミングアウトされるとは!
規格外すぎて面白すぎたのです。
もう息ができないくらい笑っていました。
そして、みさこさんもつられて爆笑していました。
発達障害をお互いにカミングアウトして爆笑し合っている絵はなかなか異質だったと思います。
一通り笑った後、みさこさんが診断を受けた経緯や診断結果など、彼女の事情を聞きました。(詳細は是非みさこさん本人に聞いて下さい^^)
みさこさんのカミングアウトは衝撃でしたが、彼女の状況は私にとってさらに衝撃的でした。
なんと、診断を受けてから今日までの数ヶ月間、その事実を私以外の誰にも話した事が無かったそうな。
まさか自分が発達障害だったとは、という衝撃から気持ちの整理がつかず、相談するにも人に話す事で偏見に晒されるのではないかという恐怖から一人でずっとモヤモヤしていたそうです。
当事者会の存在も知っていたが、身バレも怖いし、どんな人がくるかもわからないから行った事は無かったそうです。
みさこさんは私にも自分の発達障害を明かすつもりはなかったみたいで、私が急に喜々としてADHDをカミングアウトするもんだから、ついカミングアウトしたと。
家族にすら話さず、一人で抱え込んでいたみさこさんは、今日私に話せてスッキリできたと言ってくれました。
私からもみさこさんにここ数ヶ月起こった出来事と、診断を受けた経緯、そして他の当事者と会った事、そして私が気づきやりたい事を話しました。
先ほど書いたでこ女の起点となった想いについてかなり熱く語り、正直、私の話はかなりあやふやでわかりにくかったと思うのですが、そこはさすがみさこさん、汲み取ってくれました。
ひとしきり話を聞いた後、みさこさんは私の理念(と呼べる程確固たるものではありませんでしたが)に共感してくれ、「私にも是非協力させてくれ」と言ってくれました。
つまりみさこさんが最初の”仲間”になってくれたわけです。
そして、みさこさんと話していて、また気づいた事があります。
私の様に簡単に障害(に限りませんが)をオープンにして周囲に助けを求める事ができる人より、みさこさんの様に当事者会にさえも参加出来ずに抱え込んでしまっている人、そういう人にこそ”当事者会”が必要なのではないか、と。
究極的にハードルを下げて当事者会を開催できないか、あるいはそういう参加が困難な人にも当事者会での有益な情報を配信できないか
これは今でも私たちでこ女の命題の一つです。
究極にハードルを下げると言う事で、オンラインでの当事者会を思いつきました。
ネットなら顔だしもしなくていいし、本名ももちろん不要、身バレの心配がありません。話すのが苦手な人でもチャットで参加できるし、別にチャットさえもせず聞いているだけでもオンラインの当事者会なら全く浮きません。
何より場所を問わないので、当事者会が開催されていないような地域の方も参加できます。
このアイデアをみさこさんとの飲み会の最中に思いついた私は、みさこさんに相談し、実現に向けての作戦会議を行いました。
そしてまずは仲間を増やす、という事で同じく高校時代の友人”ほなみさん”の名前が挙がりました。
いつかほなみさん加入の経緯と、ほなみさんのエピソードも書く機会を持ちたいです。彼女のエピソードもまたかな〜り強烈です。私とみさこさんとも違う、ニュータイプ。
今回はさすがに長くなりすぎたので割愛します。
私が診断を受けたのが6月、このみさこさんとの飲み会が多分7月だったと思います。その後、ほなみさんを巻き込んで第一回のでこぼこ集会を開催したのが8月の事でした。(今から思うと割とスピーディーですね)
第一回のでこぼこ集会の参加者は僅か1名!笑
(Facebookでめっちゃ広告課金したのに笑)
しかし、このたった一人の参加者が私たちのでこぼこ集会に参加した後、「オンラインの当事者会って初めてだったけど、気軽でよかった。また参加します」と言って下さり、その後もリピートして参加して下さいました。
彼女のおかげで「私たちのやっていることは間違っていない」と確信し、しばらく参加者数という意味では奮いませんでしたがひたすら続ける事ができました。
参加した皆さんがよく「すっきりしました」「楽しかった!」「自分だけじゃないって思えたのがよかった」等々、ポジティブなフィードバックを頂きますが、おそらくそれと同じかそれ以上に私自身、毎回新たな気づき、そして人生の喜びを皆さんから頂いています。
でこ女は今年2周年を迎えます。仲間はずいぶんと増えました。
このホームページも私が作ったわけではなく、でこ女会員の方が作って下さいました。
設定やらデザインやら本当にゼロから作って下さいました。
(彼女の紹介も是非どこかでしたいです)
他にも「私も手伝います」という嬉しい声を多く頂きます。
こんなに助けてもらっているコミュニティってなかなか無いと思います。
もし私が全部一人でできてしまう超有能であれば、こんなに幸せな関係を皆さんと作れていなかったかもしれません。
だから私は自分の無能さ、できなさをもう悪だとは思っていません。
”できない”を価値に変えていく
でこ女のキャッチコピーはこうして生まれました。
さあ、とんでもなく長くなりましたが、診断を受けてからでこ女を立ち上げるまでを書きました。
最初にこのブログは言い訳編、あるいはアンサーソング的なものだと言っていましたが、どうでしょうか?ちゃんと言い訳になったのでしょうか。笑

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