私が超思いつきで始めた”ブログお悩み相談”ですが、さっそく投稿をいただきました!
ありがとうございます♪
もちろん、私だけだと上手く回答も出来ないと思うので、皆さんもコメントにドシドシ書き込んでいただけたらな、と思います。
記念すべき1通目は「人付き合いが苦手」というテーマです。ついつい合わせ過ぎちゃう、利用されてる、だからしんどい。
「うんうん」と頷いたアナタ!是非続きをお読み下さい。(そしてあわよくばコメントして欲しいデス)


【ペンネーム】みぃさん
【発達タイプ】ADHD
【お悩み】
人づきあいが苦手です。
特に、要領よく損得で生きているような方が。自分が利用されることもあり、距離をとりますが、それを他の人に打ち明けて味方につけるなど自分を楽にすることも苦手で、しんどくなります。
依存的な性格もあり、つい相手に合わせてしまい、ペースに飲まれてしまいます。
アドバイス頂けたら嬉しいです。


【ちひろの回答】

はじめに

スミマセン、回答が長くなりすぎたので、ブログを二回に分けます!
そして、今回のブログ…なんと解決策が殆ど出てきません。しかも、ちひろの自分語りが95%くらいあります。
お悩み相談でお前が自分を語るんかい!という感じで申し訳ないです。ほんと、言い訳のしようもなく、語りたかっただけです。テーマが熱かったので。スミマセン。
一応、今回伝えたい事は一番下の方に書いたので、私の自分語りを読まない人は下まで一気に飛んじゃって下さい。
そしてみぃさん、投稿ありがとうございます!

相手に合わせすぎるのは過剰適応

なんでこんなに利用してくるんだろう?!って思うと腹が立つやら悲しくなるやらで凹みますよね。
私は小学校の頃にすごくこれで悩みました。めちゃくちゃみみっちい話をします。
例えば友達の誕生日プレゼントと送ったのに、友達は私の誕生日に返してくれなかった。
シール交換(今から思うとクソつまらないが何故か当時流行っていた)で私の方が良いシールあげたのに、向こうが渡したシールがショボかった。
連れション(一緒にトイレしにいく事)した時、私は友達のトイレが終わるのを待ってあげたのに、友達は待ってくれなかった。
遊ぶ約束を楽しみにしていたのに、友達に何回もドタキャンされた。
いつも私ばっかりが話を聞いていて、友達は私の話を全然聞いてくれない。
挙げると切りがないのでこれくらいにしておきます。笑
この例を読むと、人によっては「いやいや、それ、あんたが頼まれてもないのに勝手にやってんじゃないの?」なんて感想を持つかもしれません。
その通り、私の場合は私が頼まれても無いのに勝手にやっていました。
相手や環境に過度に合わせすぎてしまう事を”過剰対応”と言いうのですが、私の場合は頼まれても無いのに勝手に押し付けまくる、超・過剰対応でした。
みぃさんの場合は頼まれても無いのに自分から相手に勝手に尽くすというタイプではないかもしれません。
ただ、利用されやすい・相手に合わせてしまう・相手のペースにのまれがち、という事なので過剰適応している可能性が高いかな、と思います。
「本当の私はこんなんじゃないのに!」と思いつつもついつい相手に合わせてしまう、結果疲れてしまう、というのが過剰適応です。

過剰適応は長続きしない

この過剰適応ですが、当然、無理をしているので長続きしません。
溜まっていた怒りが爆発し、急に相手にブチ切れる人
人間関係を切る人(絶交、退職など)
身体を壊してしまう人   等々
どういう形で過剰適応が終わるのかは人それぞれですが、多いのは人間関係を切る人です。
私もこのタイプです。
これだけやってやってるのにそれと同等のものを友達が返してくれない事がストレスで、結果的に大嫌いになり、友達をやめるというケースばかりでした。
私の場合はみぃさんと違って勝手に尽くしていた訳なので、かなり被害妄想だと思うのですが、そんな冷静な目は当時持っていませんでした。
「もうコイツの話を1秒だって聞きたくない」「自分ばかりが損をしている」「コイツといると自分を犠牲にする事になる」「自分は利用されている」
友人といると常にこんな思考がグルグル頭の中を駆け巡り、とにかく辛かったのです。
自分を守るために友人関係をしょっちゅう清算していたのです。(余談ですが、友達を辞めるに際し、関係継続を望まれた事は一度もありませんでした。「あれだけ尽くしたのに、私がいなくなってもい良いのかよ!」と更に凹みました。何とも面倒くさい女です)

切り続けた結果、ひとりぼっちに

しかし、人間関係を切るという解決策には限界がありました。
小学校までは嫌になったら絶交、新しい友達、また絶交、みたいなのをくり返していましたが、転校をきっかけに問題が生じます。
転校した私は、友人らしい友人も殆どおらず、また自分のキャラクターというものを殆ど理解してもらえていない”アウェイ”な環境に放り込まれたのです。
これまで通り、最初のうちは私も過剰適応で友人が出来ます。そしていつも通りストレスを溜めるのですが、アウェイな環境では【孤独】になる事が恐ろしく、なんぼストレスが溜まろうが、友人を切るなんて事はできませんでした。
結果、私は1ヶ月くらいで即不登校になりました。(不登校のもう一つの大きな原因は、転校して勉強が全くついていけなかったというのもありますが)
親に「いじめられている」という嘘をつき、そこから1年程学校に通わなくなります。(この嘘は後にバレ、親だけでなく学校関係者を巻き込む程大トラブルに発展するのですが、そこは割愛します)
1年も学校に通わないと色々と考えます。この時期に私はかなり自己分析というか、自分の考え方を見直しました。
「自分は何故友達関係を続けられないのか」というのは私が抱える数々の問題の中でも、かなり大きな問題でした。
当然、当時は過剰適応なんて言葉も知りませんし、その上私にはかなり歪んだ自己愛がありました。(歪んだ自己愛については別のブログ記事に記載してありますが、読まなくて良いです)
頭の中に浮かぶのはこれまでの(元)友人達と、「私は悪くない」「あいつらが悪いんだ」という他責思考。

愛の量が違うんだから、仕方ない

そしてついに私の中でこの問題に対する答えが出ます。
「そっか!私は人より愛の総量が大きいから、仕方の無い事なんだ!」というのが私の導いた答えです。
愛って目に見えないけど、私は人よりも沢山の愛を生まれながらにして持っているんだ。だから、他人が私に同じだけの行為を返す事は不可能なんだ。
背の高い人が背の低い人のために上のものをとってあげることや、力のある人がか弱い人の荷物をもってあげることと一緒なんだ。
生まれながらに”持つ”ものを”持たない”人のためにしてあげる事はごくごく当たり前なんだ。
愛はたまたま目に見えないからわかりにくかったけど、私は愛が多いから、相手から同じだけの愛が返ってくる事が無いのは普通だったんだ。
こんな風に考えるようになったのです。
「愛が戻ってこないのが普通なんて悲しい奴」と思うかもしれませんが、この考え方は当時の私にとってはかなり腑に落ちました。
背の高い人が低い人のために上にあるものをとってあげて、「自分は背が高いばっかりに上の物を取らされる」と嘆きますか?
いや、スミマセン。中には嘆く人も居ると思います。でも私は「持って生まれた才能だから仕方なくない?」と思うんです。
むしろそんな才能がある事が嬉しいので、”自分ばかりが尽くしている”という事に対し、全然悪い気がしなくなりました。
”されて当たり前”な存在より、”して当たり前”な存在である自分が誇らしくあったのです。
それ以来、行動自体は大して今までと変わっていませんが、”辛い”と感じる事はほぼ無くなりました。
メールの返信が無くても、ドタキャンされても、誕生日プレゼントが返ってこなくても「仕方ないよね〜!だって私の愛の方が大きいもん」でモヤモヤが吹っ飛んだのです。
ただ、これは私の例であって、みぃさんに考え方を変えろ!と言っているわけではないので、ご安心下さい。
私の場合、過剰適応は過剰適応ですが、自分が”被害者”という思考が強すぎました。なので、考え方のチェンジだけで比較的簡単に解決しました。

よくよく考えたら無能だったので、あまり利用されなかった

皆さんの周りにいませんか?なんでも「いいよいいよー^^」とニコニコ受け入れてくれる優しすぎる人。
私が「愛の総量が多い」という話をすると、そんなイメージで再生されるかもしれませんが、私の場合全くそんな事はありません。
「人間関係が長続きしない」という問題は、不登校期間中に解決したものの、私が抱えている問題は他にも多数ありました。
「初対面の大概の人から嫌われる/自分が嫌ってしまう」という問題は未解決のままだったのです。
狭く深く長くな人間関係は作れるようになったものの、広く浅くの人間関係をスタートさせる事はできなかったのです。
これは私の過剰適応出来る範囲が1〜2名と限られているためであり、私の中では過剰適応であっても、一般的には全く適応できていなかったのです。
上で「考え方を変えた事で楽になった」と書きましたが、そもそも私の過剰適応って、他の人と比べるとだいぶショボいです。他人からするとかなり自由気ままに生きてるように見えると思うのですが、それでも私に取っては”過剰”だったんです。
結果的にはこの適応能力の低さに救われました。私の過剰適応が、マジで過剰なレベルだったら、考え方をちょっと変えたところでやっぱり疲れたと思います。
しかも、いっちょまえに「利用されてる」と思い込んでいましたが、思えば私に利用価値は殆どありません。
宿題やってこないし、忘れ物多いし、授業のノートとらないし、勉強もできない、絵も下手
これだと「宿題写させてよ〜」とか、「ノートコピーさせて」とか一般的学生の需要に応えられるはずもありません。
それなのに、「クソ!また利用された!」と思う私は相当思い込みが激しかったかな、と今から振り返ると思います。
(しかもその後「愛の総量が違うのだ!」と割り切ったのはなんともまあ尊大ですよね。)

過剰適応も能力のうち

「本当の自分はこんなんじゃないのに、無理をしていて辛い」というのが過剰適応の悩みですが、まずは過剰適応している自分も自分であると認めて下さい。
例え素の自分がどれだけクズでどうしようもなかったとしても、それを隠して適応できる、それってめちゃすごいです。
むしろ素がクズであればあるほど凄い事です。
スポーツでも体格に恵まれない選手が活躍すると脚光を浴びますよね。
受験でも偏差値低い人が良い大学に受かったというストーリーばかりが塾の合格体験記に載りますよね。
素の自分と全然違う自分を演出できるって素晴らしい能力です。
私がどれだけ無理をしても100mで9秒台を出せないのと同じように、無理をしても到達出来ない領域はあります。
仮に無理をしていたとしても、相手に合わせられるっていうのは凄い事だし、利用されているという事はみぃさん自身に利用するだけの価値があるという事ですよね。
そんな訳で、まずはファーストステップとして自分を認めてあげると言うか、褒めてあげて欲しいです。

ムカつくのは相手に対してか、自分に対してか

思い通りにいかないと、腹が立ちますよね。悲しくなったり、凹んだり。
でも、その対象は誰でしょうか?
利用してくる人に腹が立つのか、それともNOと言えない自分に腹が立つのか。
コミュニケーションは二種類あります。他人とするコミュニケーションと自分とするコミュニケーション。
今回は自分とのコミュニケーションという視点から書いてみました。
まずは自分を責めない事。みぃさんの場合はしんどくなるほど頑張っているんです。
そんな頑張っている自分を褒めてあげる、認めてあげる、労ってあげる、そんなところからスタートしていただければな、と思います。
私の例もすごい恥ずかしながら書かせていただきました。参考にはならなくても、「こんなバカもいるんだ」と笑っていただけたら幸いです。

そうは言ってもストレスなんじゃい!

自分を責めなくなったとしても、もう一つのイライラの原因、他人は消えません。
しかも私の経験上、面倒になって関係を切ったとしても、似た様な嫌な奴が出て来てまた同じ様な課題に直面します。
そんな訳で、次回は”苦手なアイツとのコミュニケーション編”を書きたいと思います。
長くなったので分けました。殆ど自分語りでスミマセン!次回はもうちょっとまともな感じで書きます。
こちらの相談に対し、コメントもどしどしお待ちしてます^^

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