発達障害を持つ女性のためのコミュニティ
2020年01月04日
皆さん、あけましておめでとうございます。
ずっとブログ更新したい、したい、したい、という某あるある言いたい芸人みたくなってました。
本当は年末までに更新したかったのですが、先延ばし癖でここまで来ました。
この正月休みはずっと寝てるかポケモンをやってまして、ポケモンのプレイ時間が30時間になるほど怠惰な生活を送っていました。幸せ。
さて、年末のDecojoちゃんねるには多くの方に参加いただきました。ありがとうございます。
初の運営3人が揃っての放送という事もあり、普段より白熱した内容になった…気がします。笑
今日はその時の裏話や、高校時代の話をちょっと紹介したいと思います。
そもそも、”でこ女”は私の高校時代の友人と立ち上げた会です。
ASD&ADHDグレーっ子のMisakoさんと、ASDっ子のHonamiさん、ADHDの私の3人です。
高校時代、(今もですが)コミュ障で友人のほとんど居なかった私と、他人に全く興味がなく、自分から友人を作ろうともしないHonamiさん、クラス内でお調子者で誰とでも仲が良かったMisakoさん
何故仲良くなったのかは覚えていませんが、こうして高校卒業して10年経っても会って笑い合えるというのは幸せな事ですね。
28日のDecojoちゃんねるのために、今年は我らが地元・富山県で集結しました。
放送前に腹ごしらえで訪れたのは富山のフレンチの名店・メルシー食堂さんです。
気取ったコースではなく、フランスの田舎料理をお手軽な値段で出してくれるメルシー食堂さんは私たちのお気に入りのお店です。
特にガレットとクレープは絶品!
毎年、年末はメルシー食堂で3人のプチ同窓会をやっています。
私たち3人は高校卒業後、バラバラの地域の大学に進学しました。
私は関西、Misakoさんは関東、Honamiさんは地元北陸
故にしょっちゅう会える訳ではないのですが、それでも年に2〜3回のペースで会い続けていました。
友情を通り越えて最早”腐れ縁”とも言える、不思議な関係です。
三人とも性格も違えばおそらく相性も全く良くないのですが、会えばいつも大爆笑で、腹筋を痛めます。
親からは「よくそんだけ会ってるのにいつも大爆笑出来るね」と半ば呆れられるのですが、なんてとはありません。
我々は、いつも同じ話題で大爆笑しています。高校時代からずっと。(怖)
ネタは年を追う毎に多少追加されていきますが、大体は高校時代にあった”オモロい思い出”を思い出して我々3人は爆笑しているのです。
ガムで言えば10年以上噛んでいるわけですから、味が無くなるどころか消滅してもおかしくありません。
にも関わらず、ずーーーっと同じ話題で笑える我々は幸せすぎる空っぽな脳みそである事は間違いありません。
このブログではそのエピソードの何個かを皆さんにお伝えしたいと思います。
我々にとってはオモロいのですが、内輪ネタですので、外からみると”寒い”とかもしれません。読んだ後での「時間を無駄にした!」という苦情は一切受け付けません。
私は絵が下手です。ブログで披露した事もありますが、何とも言えない下手さで、”下手すぎてオモロい”という程でもない、故に美味しくもない、本当に絶妙な下手さです。
そして、何と言っても面倒臭がりです。
絵が下手×面倒臭がり という事で、美術の授業は私にとって退屈でしかありませんでした。
よく発達の人は芸術の才能が〜〜とか言うのですが、それは恵まれたほんの一部の人だけで、その実、殆どは私のようにその他大勢と変わらない、もしくはちょい下手程度の芸術センスしか無かったりします。
もちろん、才能のある人も沢山いますが、私はアートの才能がゼロのため、たまに「ADHDなのにセンス無いんだ」ってがっかりされます。(せめてオモロいくらい下手な絵が描けたらよかったのですが)
そして、高校時代は”油絵”というニュージャンルに挑戦するのですが、これがまたムズカシイ。
その時のテーマは”自画像”という事で、慣れない油絵で自画像を描きました。
私はとにかく面倒臭がり(シツコイ)なので、いつも美術や図工の時間はテキトーに素早く仕上げて、残りの時間はボーーっとするか寝るかが常でした。小学校の頃から、図工の時間に作品が出来上がるスピードはダントツ1番でした。
この時も深く考えずに自分の自画像を描いていました。
私と会った事がある方ならわかると思うのですが、私の顔は結構平面でして、描いてて決して楽しい題材ではありません。
鏡をみながら自画像を描くのは結構苦痛でした。
絵の鉄則として、”濃い色は最後に”というのがあります。
大体顔を描き終えた私は、最後に髪の毛を塗りました。
問題はここで発生します。
髪の毛を描いている最中、手が滑って、髪の毛の黒が滲んでしまいました。
滲んだ場所がまた最悪で、ちょうど”耳の部分”にシュッとほそ〜い線が滲んでしまい、それはそう、まるで、”耳毛”だったのです。
「(うわ〜。これは完全に耳毛やん。恥ずかしいな。しかしこれを直すには絵を乾かしてまた肌色を上から塗らないといけない。結構工程があってメンドクサイな。もうええわ。誰もうちの絵なんか見てへんし、これで完成にしてまお)」
という思考に至り、結局その耳毛を生やしたまま、私は自画像を提出しました。
私の高校は美術や音楽なんかの授業に全く力を入れてなかったため、先生のチェックはざるです。
先生に指摘される事もなく、また、当時友人らしい人もほとんどいなかった私は、誰からも”耳毛”を指摘される事はありませんでした。
そして完成した絵は廊下に約1年間にわたって飾られる事に。
2年生に進級し、廊下に飾っていた絵が返却されました。
そこで同じクラスになったHonamiさんが私の絵を見て言った一言は一生忘れないでしょう。
「あれ、ちひろの絵、耳から毛生えてね?」
これだけは、これだけは指摘して欲しくなかった。
Honamiさんが言わなければ、私の絵の”耳毛”は無かった事になり、そのまま墓場まで持っていけた事でしょう。
しかし、誰も突っ込まなかった。誰もが思っていても口に出さなかったその言葉を、Honamiさんが口にした事で、私の絵の”耳毛”はこの世に誕生してしまったのです。
Honami「うわ、見れば見る程耳毛やんwwwwwこれはオモロいwwwwww」と言って爆笑し出します。
私「放っといてくれ!もうこの絵は1年間廊下に飾られた後やぞ?!今更そんなん言われても、大勢の目に晒された後にそんなん言われたら恥ずかしくて死んでまう。なんで今更そんな事言うんや?!鬼か!」
Honami「だって今知ったんだもんwwwwwwwwwwwくぅ〜〜〜wwwwこの絵を1年飾ってたとかwwww笑い死ぬwwwwwwww」
仲良く?なってからの暦がそんなに経っていないというのに、Honamiさんはいつも私の心のやわらかい場所をしめつけてくる鬼畜です。
王様が”裸の衣装”を着ていたらやっぱりその場で「裸じゃね?」と言ってしまうのがHonamiさんです。
高校時代はそんなHonamiさんに振り回されていましたが、大人になった今となっては、Honamiさんのように指摘してくれる人間って大事だと(多少)思えるようになりました。
ちなみにその時の問題の自画像がこれです。
おわかりいただけただろうか?
皆さんだったら耳毛、指摘しますか?(どんな質問やねん)
私とMisakoさんとHonamiさんは本当に腐ったミカンの関係性でした。
お互い一緒にいる事で、ただでさえ低い成績がどんどん低迷していき、高校三年になる頃には学年でも底辺を争う仲になっていました。
今もし現役の高校生がこのブログを読んでいたら伝えたいのですが、付き合う友達によって成績は影響されます。確実に。
鶏が先か、卵が先か…3人のうち誰が一番最初に悪影響を振りまいたのか、今となってはわかりません。
今回、実家で高校の卒業文集を見つけ、ずっと存在を忘れていましたが、こんな事をコメントとして残しています。
左:Honamiさん、真ん中:ちひろ、右:Misakoさん
”私たちの高校生活”というテーマで「赤点上等」と残した私…それしかコメント思いつかなかったのか?
Misakoさんは中二病拗らせてるし、Honamiさんの”ほぼ”って何だよ…
そんな訳で、本当に悪い友達”悪友”という言葉がピッタリな関係性でした。(※他人に迷惑をかけるような悪さは一切していませんので、ご安心を!)
正直、MisakoさんやHonamiさんではない人と友人になっていたら、私の進学した大学のランクは変わるんじゃないの?って思います。(Honamiさんは自我がしっかりしすぎてるので、誰が友人でも変わらないと思うし、Misakoさんは文転した時期が糞すぎるのでこれも変わらないと思います。私だけ未来ルートが変わった可能性があると思うのです)
とは言え、全く後悔はなく、今もこうしてDecojoをやれている事を思うとありがたい関係性です。
今もし現役の高校生がこのブログを読んでいたら伝えたいのですが、高校生の頃に思っているほど、大学の偏差値とかってあんまり大事じゃないです。
私とMisakoさんに至っては、最悪な事に通っていた塾まで一緒でした。(私がMisakoさんを誘ったのがきっかけですが)
その塾は先生が授業をする形式の塾ではなく、東京の一流予備校教師がやっている授業をビデオカメラで録画し、それを各自勝手に自分の席で視聴する、所謂”サテライト形式”の塾でした。
この”サテライト形式の塾”と発達との相性は非常に悪いです。全国のママさん、発達のお子さんを塾に通わせる時の参考にして下さい。
最初こそ「やっぱ一流予備校の先生の授業は違うな〜」(成績悪い奴に限ってこういう事を我が物顔で言う)とか言って、わかったような口をきいていた私とMisakoさんですが、すぐにビデオを視聴する事に飽き始め、Misakoさんは自分の席で授業ではなく、何故か当時流行っていた”ビリーズブートキャンプ”のDVDを観ていました。(何故)
流石にビリーを踊る?程Misakoさんの頭はバグってはいませんでしたが、ただただビリーを観ているその光景は不気味そのものでした。
不幸にもMisakoさんはトイレ付近の席を陣取っていたので、トイレに行く度にMisakoさんのその”奇妙な”光景が目に入ってくるのです。
本当に気持ち悪かったです。(こなみかん※)※小学生並みの感想という意味
そして、Misakoさんは塾においてある『ご自由にどうぞ』のココアを”食べて”いました。
ココア粉をごく少量のお湯で溶かし、ネチャネチャにして、ねるねるねるねみたいな状態のまま、”食べて”いたのです。
本当に気持ち悪かったです。(こなみかん)
そして、1ヶ月も経てば完全に飽きた私とMisakoさんにとって、塾は“荷物置き”になっていました。
下校して荷物を塾に置き、その後は親からもらったお小遣いでカフェやファミレスでダラダラと喋っていました。
「塾に行って頑張って勉強している」と思っている親からもらったお小遣いでカフェで何時間も時間を”浪費”する事には罪悪感がありましたが、それ以上に目先の”楽しさ”にはあがなえなかったのです。
生活保護でパチンコ、みたいな魔力があるのではないでしょうか。知らんけど。
当然成績は酷いもので、特に数学は目も当てられない点数でした。
実際、0という奇跡の点数を数回とったのもこの科目です。数学、恐るべし。
Misakoさんは国語こそ神がかった点数の良さでしたが、数学は私とどべを競う酷さでした。(それなのに2人とも理系に進学したのは、「いつかは出来るようになる」という楽観的思想があったからです。ちなみに、出来るようにはなりませんでした)
ある日のテストですが、返って来た解答用紙に書かれた点数は”3点”(※100点満点です)
それだけならまだいいのですが、3点の横には先生の文字で「バカもの」と大きく書かれていました。(何故…)
「(言われんでも3点やもん、馬鹿ってわかっとるわい)」と心で文句を言いながら、目の前にいたmisakoさんに点数を聞くと…
Misako「え、私?5点。 え… ちひろ…答案用紙に”バカもの”って書かれてるやんwwwwwこれはオモロいwwwwやーいwww馬鹿やーいww」
ちひろ「おめーだって5点じゃんか!バカやん!」
Misako「いや、私には”バカもの”って書かれてないから。ただ5点であるというだけだから。お前は”バカ”ってもう書かれてんじゃん!言い逃れできないバカって事。Do you understand?wwwwwひ〜〜www笑い死ぬwwww」
と、露骨に煽って来たのです。
おわかりいただけるでしょうか?馬鹿に馬鹿と言われる屈辱。
100点の優等生に煽られても悔しくないのですが、高々5点ぽっちのMisakoさんに煽られる屈辱と言ったら、そりゃあもう悔しくて悔しくて・・・(だからといって勉強はしないのですが)
それにしてもHonamiさんと言い、私の周りには煽ってくる人間しかいないのか…。
先生もあんない筆圧で「バカもの」と書いていたら、絶対その下の答案用紙にも筆圧で書かれた「バカもの」が写ってると思うんだよな。出席番号一個後の人にバレるやん!マジで思いやりが無い。バカでも「恥ずかしい」という気持ちはあるっちゅーねん!
ちなみに0点の時は「バカもの」と書かれていませんでした。(ちょっと寂しかった)
違いは一体なんなんでしょうか。
書かれていたのは1回きりで、私以外の生徒に書かれていたという情報もありません。
明らかなレアを引いたという意味では良い経験をしました。
Misakoさんとは塾が一緒だった事もあり、受験シーズンになってもかなり絡んでいました。
余談ですがMisakoさんは国語の成績が全国トップクラスで、数学が最下層だったにもかかわらず、ほぼ最後の最後まで文転しませんでした。(私とHonamiさんからすると意味不明で、「コイツは大学に進学したくないのかな?」と思っていました。)
そんな頑固なMisakoさんでしたが、センター試験が終わると流石に現実をみたのか、急に「文転する!」と言い出して文転しました。
文転したMisakoさんと、なんちゃって理系の私、受ける学部が結構違うので”ライバル”という感じでは全然なく、相変わらず一緒に居ると勉強しなくなる悪い影響を与え合っていました。
そしてやってきた受験シーズン
田舎で娯楽らしい娯楽もなかったので、大学受験というのも結構なアトラクションです。
「東京の私大受ける!」というのは、大学受験にみせかけた一種の”旅行”で、その相手に私はMisakoさんを選びました。
先に東京入りしていたMisakoさんと合流して、早速向かったのはお台場の”大江戸温泉物語”
その日はMisakoさんの関西私大の受験結果の発表の日でもありました。
大江戸温泉に向かう道中、結果発表に時間になりました。
ちひろ「おい、さっさと受験結果確認しろよ」
Misako「嫌だよ。みるの怖いよ。落ちてたら絶対この後楽しめないし、明日からの受験にも影響するもん」
ちひろ「いいからみろって!どっちみちスッキリしないなら、みてしまった方が良いだろ!!!」
という私の謎の押しに負け、Misakoさんは携帯で結果を確認する事に。
Misako「・・・・・・・・・・・・・・落ちてた・・・・・」
ちひろ「なんか・・・悪かったな・・・まあ、なんだ・・・ドンマイ」(フォロー下手)
結構自信があったというその大学に落ちていたのはMisakoさん的には結構ショックだったそうです。
私もかける言葉がなかったのですが、その30分後…
Misako「五右衛門風呂があるーーー!!!一番乗りするぞーーーー!!!!」
大江戸温泉物語が楽しすぎたのか、すっかり落ちた事を忘れて元気になってました。こういう所はすごい。
その後、新宿で予約したホテルに二人で向かいました。
アクセスを調べるため、携帯でそのホテル名を居れると、予測機能の欄に「○○ホテル 殺人事件」「○○ホテル 幽霊」「○○ホテル 事件」というなにやら物騒な文字が。
え、もしかしてヤバいホテルを予約してしまったのか?
私はかなり不安になりました。
ちなみにMisakoさんも横で同じ事を調べており、後日談ですが「実は曰く付きホテルだって行く道中に知ったけど、予約してくれたちひろに申し訳ない気がして何も言わなかった」と言ってました。(そういう所はHonamiさんと全く違うな、と感じます)
ドキドキしながらホテルのフロントでチェックインです。
親が居ない環境で泊まる事ってまあ無いので、すごくドキドキしたのを覚えています。
しかし、フロントのお兄さんから絶望的な事を言われます。
フロントの人「う〜ん。ちひろさんという名前の方の予約は入っていませんね」
ちひろ「え・・・いや、そんなはずは・・・え・・・ぁう・・・(オドオド)」
Misako「・・・・・・(コイツマジかよ…)」
フロントの人「正確にはちひろさんの名前で一旦Web予約されていますが、その5分後にWebからキャンセルされています」
ちひろ「え?えええ?(うううううううう嘘おおおおおおおおおん)」
Misako「(コイツ何で電話で予約せーへんねん)」
今となってはWeb予約って一般的ですが、当時はWeb予約って”何か信用出来ないモノ”でした。
どうやら私は操作ミスで予約が出来てなかったみたいです。(とは言え、なぜ5分後にキャンセルという奇行に至ったのかは今でも謎です)
フロントの人「ですが、空室がございますので、以前予約いただいたプラント同じプランでお泊まりいただけますよ。いかがなさいますか?」
ちひろ「じゃあ、それで。(まじありがとう、お兄さん。東京はあったかい街だ)」
Misako「(コイツ何今更カッコつけとんねん)」
ミスはこれだけではありません。
皆さんは”ダブル”と”ツイン”の違いって知ってますか?
”ダブル”がダブルベット、つまり大きめのベッド一つで2人泊まれる部屋
”ツイン”がシングルベッドが二つ置いてあり、2人で泊まれる部屋の事です。
ここまで言えばおわかりかもしれませんが、高校生の私は”ダブル”=ベッドが”ダブルある”と思い込んでおり、予約した部屋はダブルでした。
そのせいで、受験前日という超大事な時期によりにもよってMisakoさんの横で寝るという罰ゲームを受ける事になってしまったのです。(私が予約したので、完全に身から出た錆ですが)
無事に部屋に入り、ホッとしたのも束の間、Misakoさんがその後すぐにこのブログでは書けない様なヤバい事をします。(犯罪系ではありませんのでご安心を。)
そのせいで明日に向けて早く寝たいのに、私は全然寝れませんでした。
「寝なきゃ寝なきゃ」と思えば思う程、眠気が覚めていきます。
Misakoさんはそんな私をよそに、健康的な時間帯ですっかり寝入ってしまったため、私は一人眠れない夜を過ごしていました。
思えばこのホテル、曰く付きです。
私は幽霊とかオカルトとか結構信じているので、もう眠れないのが嫌というよりは、「こんな怖い空間に一人でいる事が嫌」というくらいビビっていました。
ちょっとした物音でも「出た〜〜〜」とびくつくので、益々寝れません。
気付けば深夜2時になっており、普段23時には寝ている私からすると相当な夜更かしになっていました。
そんな時、とうとうそれは聴こえました。
「ゔゔゔゔゔゔゔゔっゔゔうゔゔゔゔゔ」
結構大きい声です。
「(やべーーー。これ、完全におばけ出たじゃん。呪われるじゃん。もうオワタ・・・・)」もう私のライフはゼロです。
その怪しい声は何回も聴こえます。
「ゔゔゔゔゔゔゔゔっゔゔうゔゔゔゔゔ」「ゔゔゔゔゔゔゔゔっゔゔうゔゔゔゔゔ」
「(絶対殺された人の霊だ…怖すぎる。Misakoさんを起こすか?でも明日受験なのにそんな迷惑かけれねぇ・・・)」
私が葛藤している間も、Misakoさんは爆睡しています。
そして、私はこの”奇声”に一定の法則がある事に気づきます。
「(あれ?この奇声、一定の間隔で聴こえるぞ…え、まさか)」
そっと布団をまくり、Misakoさんを確認すると
「ゔゔゔゔゔゔゔゔっゔゔうゔゔゔゔゔ」と、この世の物とは思えない”寝息”を立てたMisakoさんの姿が。
「(コイツ、マジで許さん…)」
その後、私はようやく眠れました。
ちなみに次の日の試験本番で寝落ちし、文字通り”落ちました”。(※Misakoさんは受かりました)
この東京受験旅行ですが、まだまだエピソードがあるものの、全部書くとめちゃ長いので省略します。(画力があれば絵で表現したかった)
これだけでブログ記事にすりゃあ良かったと今更後悔。
高校時代の話もまだまだあるのですが、もう集中力が限界のため、終わります。
元々はメルマガのコラムで書いた通り、久しぶりに高校時代の国語の教科書の小説を題材にコラムというか、ブログを書こうと思っていました。
そのため、実家に帰省した際に国語の教科書を探していたのですが…姉や妹の教科書は見つかるのに、私の教科書だけ1冊も残っていませんでした。(何故?)
結局、高校の教科書は見つからなかったのもの、当時の”自画像”やら、高校の”卒アル”なんかが出て来て、約10年ぶりにその姿を拝みました。
という事で、高校時代に習った国語の教科書の小説の話はまたいずれするとして、今回は卒アルやら自画像のネタを使って、高校時代のエピソードを書きました。
ここまで読んだ下さり、ありがとうございました。気が向いたらまた書きます。
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