発達障害を持つ女性のためのコミュニティ
2018年11月18日
小学4年生の長女がつい最近、軽度ですがADHDの診断を受けました。
幼稚園の頃からなんとなく他の子とはちがう違和感を感じながらも、まだ小さいし3月産まれだったので他の子と差がついても不思議ではないのかな~と思って小学3年生まで過ごしてきました。でも3年生後半位になると周りの女の子は急に大人びてきて、その時にはっきり違和感を覚えました。単なる差があるだけじゃないな~と。
更にこの頃から理由もわからず、何度言っても忘れて同じ事を何度も聞いてきたり、忘れ物が多くそれを悪びれもしない娘にイライラして顔を見れば叱るような状態になってしまい、これはヤバいと思いました。
そこからは自力でネットや本で情報を集めて調べてADHDではないか?と疑い始めました。
でも田舎住みで情報なども少なく、まずどうすればいいかを誰に相談したらいいのかもわからないような状態でした。
それにもし本当にADHDだとしたらどうしようという不安も大きかった(寧ろそちらの方が理由としては大半をしめていました。)と、今になれば思います。
自分なりに一生懸命そだててきた娘が「障害」というレッテルが貼られるのが怖かったんです。自分でヤバいなと思う位折半詰まっていたのに、変ですよね
でも病院に連れていって診断することを選びました。
最終的なきっかけは、このままじゃ、障害関係なく、娘を愛せなくなってしまうんじゃないかと思ったからです。それぐらいなら診断してはっきりしよう、と。
それくらい追い詰められてたんですね。
初めて病院にいったときはかなり凹みました。
娘とは明らかに症状がちがうとはいえ、専門の病院なので色々な障害の子供を見て、もしもうちの娘も…という思いが押し寄せて、挫けそうになりました
最初は主治医の先生に
・成長がのんびりし過ぎている気がする
・忘れ物が多い
・算数(図形)と漢字が極端に苦手
等気になっていることを聞いてもらい、療法士さんを紹介してもらい簡単なカウンセリングを受けました。
初日は短い時間で自己紹介や簡単なこれからやるテスト等、少し緊張している娘の緊張をほぐすような簡単なカウンセリングでした。
約2週間後に次回はお母さんだけのカウンセリングの予約を入れて終わりました。
初日の感想はは安心感不安感2:8くらいでこれからどうなっちゃうのかな~って感覚でした。
2回目の私と療法士さんのカウンセリング。
緊張しまくっていましたが、さすがと言うか1度目のカウンセリングでの様子をみて、おそらくADHDではないかという印象を感じたようで、自分の感覚が間違ってなかったのかもという安心感を得たのをよく覚えています。
やっぱりな~みたいな漠然としていましたが感じました。
それからもっと詳しく色々な話をしていくうちに、あれっ?と思い始めました。
娘に言ったりしていたことを話すうち、これ私自身も親によく言われたな、とかこの行動とってたな、とかリンクする部分がたくさんあって、ふと思いました。
私自身もADHDなのかも!
そう思い立つと行動せずにはいられない(今考えればこれも症状のひとつですね。)私はさっそくネットで大人のADHD診察をしてくれる心療内科を探しました。
しかしさすが田舎。子供の対応は何件かみつかったのですが、電話をしてみると大人は断られまくりました。
一軒だけ対応できますという病院をやっと見つけ、かなりホッとした気持ちになりました。
モヤモヤしていた自分の疑問も少し晴れるのかも?
予約して約1週間初来院。
家から車で15分位の新しい綺麗な病院でした。
カウンセリングは保険外で別料金なので、診察だと簡単な問診を先生とやりとりして話を聞いてもらいました。先生の印象もやんわりとした口調の男の先生でよかったと思います。
いくつかの日常で困っていることや、生活しにくいと感じている点などを話していきました。全部で20分くらいだったと思います。
少し話が変わりますが、私はこの頃少し前に旦那に離婚をしたいと言われました。
いちばんのきっかけは私の片付けや掃除のできない生活に我慢の限界をむかえてしまったこと。
何年もずっと少しでいいからやってと言われていましたが、その場しのぎでかわしてさきのばしにしてしまったり、理由をつけてやらなかったり、たまにやっても中途半端だったりととにかく家の中がゴミ屋敷みたいな状態でした。
その中で子供を生活させるのが限界というのがいちばんの理由でした。
ケンカや話し合いをすればよかったんですが、ずっと避けてきてしまい、いわゆるケンカすらしない仲になり、旦那の中では下の子供(現在小学生1年)が中学や高校くらいになったら限界がくるのかなと思っていたようですが、急に彼のなかで溢れてしまったみたいです。
が、急に言われた私はパニックになり、まずは色々な話し合いをしたいと言いました。
その中で子供のADHDについては話していましたが(気になるから病院にいくからね、と診察の内容を話す程度の報告でしたが)すがるような気持ちで、もしかしたら自分もADHDではないかと思っている事。
片付け掃除が苦手なのはそのせいかもしれないから病院にいって診断してもらおうと思っていること等きちんとはなしましたが、旦那の答えは「今更それを病気かもしれない」といわれても気持ちは変えられない。
というものでした。
最終宣告を受けた私は今までの人生で1番泣いたなと思います。
眠れなくなり、食欲の箱にパタンと蓋がされたように食べ物を受け付けなくなり、2週間近く野菜ジュースやコーヒー(普段全然飲まないのに何故かカフェインを欲していたようです。)や甘酒など水分だけしかとれなくなり、ある日ついに水分も駄目水すら受け付けなくなり、頭もボーッとしてフラフラになり、これはまずいなと、旦那に事情を話し旦那の親に子供を頼みまず内科のいきつけの病院にいき点滴を受けました。
それから食欲がでる漢方と睡眠導入剤を出してもらい、まずは栄養が入ったのと薬でその日は倒れこむように眠りました。
それから何日間はなんとか自分を奮い立たせ仕事にいき、受けつける水分だけはとりながら、先ほどの病院に行く日になったわけです。薄々自分できっとうつ病だろうときづいていたのでメンタルクリニックだったのできっと薬もらえるかなと思っていたので、なんとかそこまでは自分をもたせようと必死でした。
気づけば旦那から離婚を言われてから3週間で体重15キロほど落ちていました。
普通に見たら病気かなと思う位ですよねw
病気なんですけど、自分の中では必死すぎて周りなんかみる余裕も全然なかったです。
先生にその事も簡単ですが話しました。
うつ状態だと診断されました。
あぁ、やっぱりなと逆にちょっとホッとしました。
相談してADHD用のコンサータ19㎎
と併用しても大丈夫なうつ用の薬を2種類と睡眠導入剤を処方してもらい、様子をみることにしました。
飲みはじめて数日、不思議なもので薬が効いているのかは正直よくわからないのですが、薬があるという安心感の方が大きかったと思います。
お守りみたいな感覚でした。
ただ、コンサータを1度だけ飲み忘れたときは若干頭がモヤモヤするような感覚があったので、飲んだとき頭の中の霧が少し晴れるような感覚はきっとコンサータなんだなと実感しました。
頭の霧が少し晴れると、不思議と色々な事が気になり始めました。
最初は冷蔵庫の中。
いらないものを片っ端から片付け、汚れを落としピカピカとまではいかなくてもかなりスッキリして、自分の中では満足しました。
娘のADHDについて調べた時に買ったいくつかの本のなかに、掃除などいっぺんにやろうとしない、ここだけと決めて徹底的に!と書いてあったのを思いだし実践してみたのですが、なるほどなと実感しました。
相変わらず気分の浮き沈みは激しく食欲もありませんでしたが、とりあえず毎日何かやりたい所を片付けよう!という自分の中で目標みたいなものができました。
スッキリできることが快感というか、集合してやることがあるのが生き甲斐みたいになってましたw
次の日はお風呂でした。
でもやるからには徹底的にやりたい、と若干やけくそ気味wだったのとうつの薬で高揚気分になっていたので、カビキラーやらマジックリンやらキッチンからお風呂から窓網戸などありとあらゆる掃除用の洗剤やブラシなど買い込む所からはじめました。
帰ってきたきてお風呂のありとあらゆる場所にカビキラーをしてしばらく放置。
待つ間に昨日やった冷蔵庫の中を更にクリーナーシートで拭いたりもしました。
しばらくしてお風呂を天井から床壁まですべてブラシで擦りピカピカにしました。
思い込むと他の方法が見えなくなるので、よくやり方を考えればもっと楽にやれる場所もひたすら手持ちのスポンジで擦る作業をしていたのでかなり疲れましたが、腰痛と引き換えに
かなりの達成感(自己満足ですが)を得ました。
旦那が帰ってきて夜お風呂に入って出てきた時に座っていた私の頭をぽんぽんとしてくれました。
その時めちゃめちゃ嬉しかったのと同時に、もっと早くにこの病気に気づけば違う結果になったのかなという悲しさ、向き合うことに逃げずにいろんなことを話してケンカしてもいいから、伝えればよかったなという後悔が沸き出てきて涙がとまりませんでした。
何故かわからないけどうまくできないから、どう伝えればいいかわからない。
伝えたらただやりたくないだけじゃない?って怒られそうだから。
できないことを恥ずかしいような引け目のように感じて言葉に出したくないから。
そんな理由をつけて旦那さんのSOSに気づかないふりをしていたんだと思います。
いろんな場所を綺麗にしたり、家の中のいらないものを捨てまくる作業を旦那さんと一緒に始めました。
離婚をするとなってどこに住むにしても、とりあえず片付けが先という結論になり、溜め込んだいらない物がかなりあり、とんでもなくスッキリしました。(旦那さんも割りと収集癖があるので、そこは反省してくれました。)
自分も振り返るととにかく服が多い。買って満足して着ないものや、子供の服も含めて捨てたりリサイクルにも出しました。
ADHDの症状である浪費癖もかなり自覚できました。
片付けながら旦那さんといろんな話もしました。
もちろん揉めたりもしましたが子供が近くにいたり手伝いもしてくれたので激しく言い合わなくて済みました。
離婚にむけてな色々な話は子供たちが寝てからしていました。
最初のうちは私が離婚すること自体に納得していなかったので、水掛け論で終わることが多かったです。
最初はお互いに親権監護権を主張して対立しました。旦那さんは私には育てられない(経済的なことに加えADHDやうつもあったので任せて大丈夫なんだろうか?)と思っていたようです。
子供の話をしていくその中で1番決定的に価値観が違うなとわかったのは娘のADHDに関してでした。
私は最初の頃に書いたように、ずっと感じていた違和感がきちんと理由がついて世間的には「障害」かもしれないけれど、よかったと思っていました。
もちろん自分のこともあったので、生きにくかった色々なことにスッキリした安心感もありました。
でも旦那さんはもし軽度でも「障害」というレッテルが娘につくことによって、娘のいろんな未来に妨げになるのではないか、と思っていたようです。きちんと話し合ってから進めればよかったのですが、正にコミュニケーションを取らなかった為の最悪の結果です。
「なんでいきなり病院にいったの?自分のこともあるから病名を付けて障害にしたかっただけじゃないの?学校のカウンセリングにすればよかったんじゃない?」
とまで言われました。
一瞬にして頭が真っ白になり、涙がとまらなくなり、過呼吸になりました。
旦那さんがさすがに異変を察知してなだめて落ち着かせてくれましたが
私がいきなり病院に行ったのは間違いだったのか?
娘にひどいことをしているのか?
そんな思いがあたまの中をぐるぐる駆け巡って訳が分からず本当におかしくなりそうでした。旦那さんがいなかったらベランダから飛んでいたと思います。こんな辛いなら死んでもかまわないと思いました。
限界だなと思いました。
決定的に何かが違うんだと、悟りました。
旦那さんが落ち着かせてくれるまでの30分程の間に自分の伝え方が少しまずかったと思ったようで(お互い感情的になりすぎた部分もあり)少しずついろんな考えも話してくれました。
私は旦那さんの娘に対する気持ちを聞いた時に、この考えの人が娘のそばにいたら娘が辛い。本人の努力だけではどうにもならないことなのにわかってくれない。そんな人に絶対任せたくない、という気持ちから
かなり酷い言い方もしました。できるひとの物差しではかられたら娘は辛いだけだからそばにいないで。
そんな言葉の積み重ねが、旦那さんをかなり追い詰めて父親としての自信をなくしかけたことも話してくれました。
そこで、旦那さんも旦那さんなりに色々調べて考えていたんだなと初めて周りが見えました。
今まではうつもあり、自分だけが、自分のせいで、と言う自己否定の気持ちばかりでまわりが全く見えていなかったんだなと気づきました。
普段は夜子供が寝てから話し合いをして(ほとんど言い争いのような感じでしたが)丁度その日は、娘のカウンセリングや学習能力の検査等が終わり、主治医の先生と療法士さんからのはなしがあるから、お父さんも一緒に来てくださいと言われていた日で午前中から話をしていたのも幸いでした。
限界がきたのがこの時でよかったなと思いました。(旦那さんは前日に自分の中の限界を迎えて涙が止まらず人知れず号泣したようです。)
この話し合いのなかで旦那さんから言われた言葉に
「ゆきちゃん(私です)はいいよね、〇〇(娘)のできない気持ちがわかるんだもんね。でも、俺にはわからないんだよ。それも辛いんだよ。」
というのがありました。
言われたその時は感情的に興奮してカーッとなっていたので、気にとめなかったのですが、後々この言葉が私がチャイルドカウンセラーになりたい、と思うきっかけになるのです。
午後の病院予約の時間にあわせ、簡単な昼食を取り(寒かったので煮込みラーメン、私はほぼつゆのみ)を食べながらもいろんな話をしました。
今までの感情的で罵りあった話し合いの中ではできなかった、冷静な話も不思議とできました。
顔を合わせる前は(別居期間をもうけているので)あんなことや酷いことでとことんやろうと思っていましたが、1度限界に達して諦めたような感情も手伝って、冷静になれたのかなと思います。旦那さんも同じようで、破綻していてもやはり10年以上一緒に暮らして子育てもしてきた訳ですから、顔を見たら酷いことはやっぱりできない、と言ってくれました。
病院に行く時間になり、2人で車にのりながら、最悪な状況のこと(例えばADHDの症状が自分たちの想像よりも重症だったり、別の障害だったり)も話ました。
そしたらこう対応しよう、とかここはこう協力してやろうとか。
正直診断がでるのも怖いね、と。
そんな話をしていると、なんだか同志のような。夫婦としては破綻していても協力してくれて、足りない所や困ったことはお互いに補いながら、子ども(特に娘)の事を優先するやり方をとりたいと思いました。
不思議なもので、離婚をすると決めてから体調を崩してからは酷かったですが、お互いの考えや気遣いが少しずつですが変わって、理解して対応しようと思うと、離婚の話が出る前よりもずっと上手くいっています。
お互いに優しい言葉がでて、声をかけたりラインでありがとうやごめんねが言い合えるようになりました。
病院について診察を待つ間怖くて旦那さんの袖を掴んだら手を握ってくれました。
ものすごく安心感がありました。
旦那さんの手も震えていたのでかなり動揺はしていたんだなと思いました。
診察室に呼ばれ、主治医の先生が結果についてとても丁寧に説明をしてくれました。
娘の現状。
できる(得意)なこと。
周りや家族の手伝いが必要なこと。
叱りかた。(注意の教え方)
1番大切な褒め方。
<その2に続く>
診断はやはり「ADHD」でした。かなり軽度でしたが、私の中ではやっぱり、と理由がわかった安心感とこれからの不安とが入り交じりました。
でも「あーっ、病名わかって対応わかってスッキリした!明日から娘に対するイライラが少なくできるかもしれない。」が私のいちばんの本音ですw
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