発達障害を持つ女性のためのコミュニティ
2020年07月04日
前回、私の父のエピソードを書きました。私の父がかな〜り変人である事はわかっていただけたかと思います。
そんな父ですが、今から7年ほど前にウツになりました。
このエピソードもラジオでよく話すのですが、何故か?好評なのでブログにも書きたいと思います。
<読む前の注意事項>
・父の病名は一応”鬱”の診断ですが、「これ鬱の症状じゃねーだろ」みたいな行為も多々あります。医学的な事はよくわからないので、「これが鬱なのか」と思って読まないで下さい。多分、かなーりイレギュラーです。
・私の家族もイレギュラーです。鬱の人に対して、うちの家族のような対応は絶対にやってはいけません。危ないので、絶対に真似しないで下さい。
・私が大学生で実家を離れている時期に起こった事なので、エピソードが正確じゃない部分もあります。(妹と母からの伝聞中心です)
人それぞれだと思うのですが、私の父はある日突然鬱になりました。
もしかすると前兆があったのかもしれませんし、父の中では徐々に変化があったのかもしれませんが、周囲の人間からするとあまりに唐突に症状が現れました。
いつもと同じ朝、父はなかなか起きてきません。
母が叩き起こし、ようやく目を覚ました父ですが、どうも様子がおかしい。
父は普段朝にシャワーを浴びるのですが、なんとパジャマを着たままシャワーを浴び出したのです。
いやいや、これやべーだろ!と思った母は、今日は会社を休むよう父に進言しました。
が、父は虚ろな目で「会社行かなきゃ…会社行かなきゃ…」とくり返します。
父は変人ですが、根はめちゃくちゃ真面目です。
明らかにヤバい状況なのに、会社に行こうとします。
そんな感じなので、母から会社に連絡し、強制的に休ませました。
「お父さんの精神がおかしくなった!」と思った母は、精神科病院に父を連れてかけこみます。
母は先生にいかに父がおかしいかを説明します。
服を着たままシャワーを浴びた事、目がうつろな事、会話が成立しない事、こんなに落ち込んでいる父を今まで見た事がない事…
なが〜〜〜い母の演説を聴き、病院の先生が言った一言は
「まあ、鬱でしょうね」でした。
え…まさかうちの父に限って鬱?!というのが母の率直な感想だったそうです。
確かに、前の記事にも書きましたが、父は本当に凹まない人です。
信じられないくらい人から怒られてもケロっとしている父…その父が鬱?
これは完全に私の思い込みで偏見ですが、鬱の人って一人でストレスを抱え込むような人がなりそうな印象がありませんか?
私の父ってストレスを受けるようには到底見えないし、一人で悶々と抱え込むようなキャラでもありません。
ストレス耐性の固まりとも言える父が…まさかの鬱!これに母は衝撃を受けます。
その後、先生が放った一言はさらに衝撃的でした。
「う〜ん、治るには大体3ヶ月はかかりますね」
いやいやいやいや!こんなにヤバい状態なのに、たった3ヶ月で治るわけねーだろ!と母は思ったそうな。
しかし、これは後になってから判明しますが、父の鬱はピッタリ3ヶ月で治りました。(治ったというのか症状がおさまったというのかはわかりませんが)
まあこんか感じで父の初診は終了しました。
母としてはイマイチ腑に落ちませんでした。「薬はもらったけど、こんなん効くんだろうか?」「こんなに落ち込んでるのに3ヶ月で治るの?」「鬱って…あのお父さんが鬱になるとは信じられない…」
とは言え、こんな経験も初めてなので、先生の言う事をひとまずは信じるしかありません。
そこから父は鬱の休職に入ります。
この時期の父は本当にかつてない程元気を無くしていました。
基本的にリビングのソファーで1日中寝ており、全く動こうとしません。
話しかけても空返事。
母は日に日に感じます。「この人、もしかして死んじゃうんじゃ…?」と。
はじめのうちは心配して父に付き添っていた母ですが、その心配は時間が経つにつれて何故か”いらだち”に変わっていきます。
余談ですが、私の母は心配しすぎると怒る系です。
昔、私が小学生の頃、迷子になって家に帰れなくなった事があります。
数時間さまよい、やっとの思いでようやく家にたどり着き、私はやっと家に帰れる!やっと母に会える!と喜んだものの、玄関で対面した母は大声で怒鳴ります。
「こんな時間まで何してたの!!心配したんだからね!!」と。
そんな母なので、父に対しても日に日にイライラが募ります。
父が死にそうなくらい凹んでいる…目を離すと死ぬかもしれない…故に母も行動がかなり制限されていました。
とは言え、働けない父に代わって母もパートに出なくてはいけません。
もしかすると「パートに行っている間にお父さんが死ぬかもしれない」そんな心配が母の心にフラストレーションをためます。
そしてそのフラストレーションが頂点に達し、とうとう母は言ってはならない事を父に言います。
「あんた!いい加減にしな!!!死ぬの?死なないの?どっちなんだい!!!」
とんでもない大声で父に責め寄ります。(なかやまき○に君かよ…)
それに対して父が一言
「………死なない(小声)」
「死なんのかい!!!!」とすかさず突っ込む母。
いや、鬱の人になんて事言うんだよ…とさすがの私も思うのですが、これを知ったのはかなり後になってからです。
母は笑顔でこのエピソードを語ってくれました。「いや〜、それでね!お父さんが『死なない』って言うからさ、お母さんも思わず『死なんのかい!』って言っちゃった^^」「でもお父さんが死なないって言ったからお母さん、安心して出かけられたのよ〜」
おかん、ヤバすぎる…。改めて実感しました。
皆さんは絶対にまねしないで下さい。
我が家の父も相当な変人ですが、父と結婚しているだけあって母も相当ぶっ飛んでいます。
でもぶっ飛んでいるのは父と母だけではありません。基本的に一家全員ぶっ飛んでいます。(※姉以外)
父の鬱エピソードも我が家だと完全”ネタ”になっており、女子高生が「マジあれウケたよね〜」って言うくらい軽いノリで会話にあがります。「あん時のお父さん、マジやばすぎてウケたよねw」みたいな。
私もそんな環境で育ったので、割とフランクにこういう話を外でしてしまいます。
MisakoさんやHonamiさんは爆笑するのですが、真面目な友達からは「え、それってネタにしていいん?」と聞かれます。
ちなみに、母はこうも言ってました。
「一応お母さんもパートに出るからさ、お父さんのご飯用に菓子パン1個置いて行くのよ。お父さん一日中ソファーから微動だにしないのに、いつ食ってるのかわかんないけど、お母さんが帰ってくる頃にはちゃんと菓子パン無くなってるのね。だからさ、お父さんも生きる気あんのよ!だからお父さんによく『なんや、食うてるやん!生きる気あるやんけ!』って励ましてたね〜^^」
いや、それ励ましじゃねーだろ。やっぱりうちのおかんはおかしい。
一日中ソファーで寝ていた父が、徐々にですが身体を動かせるまでに回復して来た頃、父は奇行に走ります。
まず家の表札を外し出しました。
「お父さん、何で表札外すの?」と妹が聞くと、父は「追われているから。表札出しているとここに住んでいるのがバレる。」と不穏すぎる事を言い出しました。
父はやたらと自分が追われているという被害妄想にこの頃襲われていました。
この話をすると、よく「それって統合失調症なんじゃないの?」と言われますが、病院では特に診断は出ませんでした。
もはや鬱じゃなくね?状態ですが、今となっては病名もわかりません。ただ、言える事として、とにかくこの頃の父はヤバかったです。
ある日、家族で買い物に行った後の車内でこんな事がありました。
母が運転し、後部座席に妹と父が乗っていました。
すると父がとんでもない事を言い出します。
父「りさちゃん(妹)、後ろの車見てみろ…あの車、ずっとうちの車をつけてるんだよ…。」
妹「え…何言ってんのさ(また何か言ってるわ…)。あのさー、誰にそんなに追われるわけ?」
父「警察」
妹「警察???お父さん、何か犯罪したの?」
父「……勤務態度不真面目」
どうやら父は勤務態度不真面目罪で警察に追われていたようです。
これが面白すぎて、未だに父はこの件で家族にいじられています。「お父さん、昔、勤務態度不真面目罪で捕まったもんね」と。
ちなみに、この間の記憶と言うのは治った後もしっかりと父の中に残っているらしく、いじられるとめちゃくちゃ恥ずかしいそうです。
こんな感じで治療らしい治療は薬を飲む事くらいしかしていませんでしたが、先生の見立て通りピッタリ3ヶ月で父の鬱は治りました。
もちろんその後も色々と薬は飲んでいるみたいです。(真面目だから毎日欠かさずしっかり飲んでるみたいです)
3ヶ月後にはしっかりと職場に復帰し、いつもの父に戻っていました。(しかしその後、仕事をクビになって再び自由人になるのですが、それはまた別の機会に…)
鬱になった原因らしい原因もあるのですが、別に鬱の間にその原因が解消されたかというと特に解消はされていません。
結局、時間と薬が解決してくれました。
鬱が治った後に父の話を聞くと、結構衝撃的な事が判明しました。
全く凹まない印象の父ですが、元々はかなりノイローゼ気味だったそうです。
特に中学の頃にピークで、その頃の落ち込み具合はハンパなかったそうです。
しかし、その後高校に上がり、大学に行き、社会人として数十年…ずーーーっと”躁”っぽいテンションだったそうな。
今回は中学時代のノイローゼ気味だった頃に気持ちが”戻った”感覚だったそうです。
鬱だと思っていたけど、もしかすると双極性かもしれませんね。極端に躁状態が長い…。
その話を聞いてから、私は「人間、ある程度凹む事も大事なんだな」と思いました。
全く凹まないって羨ましいけど、時に凹み、時に喜び…人間は心のバランスを保っているのかもしれません。
我が家はやっぱり普通じゃない、大人になって改めて感じます。
家族のエピソードを話す度に「すごい家族ですね^^;」と言われます。「いあ〜それほどでも^^」と答えますが、多分褒められてないです。笑
カウンセラーとか精神科医とか、心理関係のスペシャリストがこのブログを読んだら、きっと批判されると思います。
鬱の人に何てことするんだ! 死んだらどうするんだ! ってね。
もちろん、医学的というか学術的というか倫理的というか…そういう観点で見ると我が家は間違いだらけです。というか正しい対応は一つもないと思います。
でも、私の父に関してはなんだかんだこの家族がベストチームだったんじゃないかと思います。
何故なら、うちの家族に”自己犠牲”は存在しないから。
父は確かに大変な状態だったし、理想を言えば父の症状に合わせて家族がケアすべきだと思います。
しかし、それで今度は母や妹が心を病んでしまっては意味がありません。
母は限界が来る前に噴火するし、妹も割と父に忌憚なく意見するので、父が鬱の間も何とか乗り越えられました。
これが「父のためにもっとこうしなきゃ」とか「父にはこんな言い方したらだめだな」みたいに配慮しすぎると、潰れてしまっていたと思います。
「酷い」と思う方もいるかもしれませんが、家族が大切だからこそ、自分が潰れてしまっては意味がありません。
現場は綺麗事と理想では回りません。泥臭くても、邪道だろうと、生き延びればいいんです。
鬱になって家族に迷惑をかけている…という罪悪感を持っている父にとっては、こんな我が家のスタンスは合っていたのかもしれません。
「別にお父ちゃんが鬱になっても全然平気!むしろおもろかった!」くらいの我が家のノリは、異端かもしれませんが、父にとっても、他の家族にとっても救いだったと思います。
ただ、最後に改めて書いておきますが、これはあくまで我が家のケースなので、決して真似はしないで下さい。笑
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