当事者会を30回ほど開催して、今まで多くの方の話を聞いて来ました。
そして、皆さんが”何故診断を受けたのか?”という話は結構聞くのですが、逆に私はそこまでちゃんと語った事無いな、と最近思いました。(かいつまんで話した事はありますが)
思いつきですが、良い機会なので私が診断を受けた経緯を書きました。
すごく長いし、内容もあまり人の参考になるものでもないのでおそらくこれからも当事者会で語る事は無いと思うので、気になる方は読んで下さい。
ただし注意として
①よっぽど暇 ②よっぽど興味ある
という2つの条件を満たした方のみ読んで下さい。
理由は
めちゃくそ長い(しかも余談が挟まりまくっている)
不快になる内容が含まれている
からです。つまり人によってはこれを読む事で、時間を浪費した挙げ句、胸くそが悪くなる事があります。
その点よくお考えの上、お読み下さい。


私が発達障害の診断を受けたのは2017年の春です。
発達障害は普通の病気と違い、
診断を受けてからが病気のスタートではなく、
生まれついての障害がやっと判明するのが“診断”です。
診断を受けた瞬間に、これまでの人生の腑に落ちないエピソードが駆け巡り、
「あ、そういう事だったのか」と全て腑に落ちる、大人になってから診断を受けた方なら、そんな奇妙な経験をした方も多いはず。

つまり我々はこれまでの人生で何回も発達と気づく“ヒント”があったはずです。

まるで推理小説の様に、そのヒントが多くなってようやく“発達障害”という答えにたどり着きます。
皆さん、答えにたどり着く最後の大きな“ヒント”がそれぞれあるかと思いますが、私の場合は何だったのか、紹介させて下さい。

月並みですが、私が発達障害だと気づいたのは社会人になって仕事が上手くいかったからという平凡なきっかけです。
ただ、私がほとんどの方と違うのは、私自身猛烈なメンタルの強さを持っていて、仕事ができなく、周囲から疎まれても全く気にならなかったという所です。
「さっそく矛盾してるやん!」と思うかもしれませんが、続きを読んで下さい。笑

皆さん、学校生活を思い出してください。授業中、休み時間、給食中、ずーーーっと喋ってるやばい生徒一人はいませんでしたか?
それが私です。
とにかく口だけはよく回る私は、学生時代の面接では無敗で、この当時の私は
「私の唯一にして最大の才能が、面接とかいう人生で本当に限定的な場面でしか使わないスキルだったとは…」と思ったものです。笑
とにもかくにも、エントリーシートさえ通れば、どんな企業でも入れるという状態でした。(エントリーシートはバカスカ落ちていましたが笑)

かなり現実主義な私は、“絶対に技術系で就職する”という事はハナから決めており、インフラやらメーカーのエンジニア職を受けていました。
“最後に残るのはやっぱり技術(スキル)”という事で、エンジニアになりスキルを身につければ転職もできるし、自分の市場価値が比例グラフの様に上がっていくと信じていたのです。
この見立ては大きく間違ってはいませんでした。

ただ、“私にエンジニアの才能がひとかけらもない”という大前提があった事に、当時全く気付かなかったのが最大の間違いでした。笑

余談ですが、“私にはエンジニアの才能がある”と信じ切っていた当時の私は、面接でもその様に振る舞っていました。
学校の成績も悪く、理系で就職するのに大学院も出ていなかった私は、結構不利な状況でしたが、
「(今はアホだけど)これだけポテンシャルのある私を“育てる”事は御社にっとって将来大きなメリットになる」みたいな事を語り、次々に内定をもらいました。
今から思うと“何故そこまで自信があったのか”というのは本当にわかりません。後ほど出てくる私の自己愛の強さが所以していたのでしょうが、それにしても若さって怖いですね。笑
結果、就職して仕事をしてはじめて“全く使い物にならない”という事が判明し、私は悪意無く面接官を“騙して”しまったわけです。
ただ、この時私がひしひしと感じたのは「面接官だって私の無能さを見抜けなかったんだから、大したことないな」という事です。笑
(何様やねんって感じですね笑)
皆さん、面接官は神ではありません。もし就職面接で落ちて落ち込んでいる方がいれば、“面接官も大したことない”という事に気づいて頂きたい。
もし落とされたのであれば、あなたの才能を気づけないしショボイ奴ですし、口だけヤローに騙される程度の判断力を持つやはりショボイ奴です。
(全国の面接官されている方、ごめんなさい!でもやっぱりあなたは神じゃないです笑)
面接はそんなショボイ奴でも理解できるように、いかに易しく自分を伝えるか、という場面です。
もし落ちたのであれば、伝え方を工夫すればいいんです。あなた自身に価値が無いという事はこれっぽっちもありません!
余談長くなりました。面接って欠陥システムだな、と無敗だからこそ私はひしひしと感じたわけです。

そして間違いに気づかぬまま、私は晴れてエンジニアとして就職しました。
エンジニアとして就職してから、最初の1年は勉強期間でした。
幸か不幸か、その年にその部署に配属されたエンジニアは私一人で、数少ない女性という事もあり、すごく大切に育てられたと思います。
様々な研修を受け、周囲の先輩たちもかなり優しく指導して下さいました。
しかし、その頃から既に“やばさ”は出ていました。
先にやばさに気付いたのは、私ではなく周囲の先輩です。
「自分が一年目のこの時期にはこれくらいの知識があって、この程度の仕事やってたのに、この子はまだここで躓いてるのか」
と周囲の先輩は頻繁に感じるようになったそうな。
当の私は部署内に“同期”という比較対象がいなかったし、ザ・ゆとりだったので「私は私のペースがあるねん」程度に思っていました。
2年目以降は実務も任されるわけですが、私が「わからない」「できない」を連発し、教育係の先輩を疲弊させていました。
ただでさえ業務量の多い部署で、先輩は自分の業務で精一杯でした。
それなのに、30分に1回(もしくはそれ以上の頻度で)私に「これわかりません」「教えて下さい」と話しかけられるわけです。
その度に自分の仕事がストップし、答える方はたまったもんじゃありません。ぶっちゃけ仕事を私に振るより、先輩自身がやった方がよっぽど早いです。
それでも最初のころは先輩も丁寧に教えてくれました。
でも、何回も同じ質問や、程度の低い質問を繰り返す私に先輩の精神も徐々に限界を迎えました…
「なんでメモ取らんねん!」「それ前にも教えやろ」「自分で考えや」「もう知らん」「話しかけんな」
徐々に私への当たりがキツクなっていきました。
(言い訳すると、メモは取っていたのですが、どこにメモしたかを忘れたり、メモを読んでも意味がわからなかったのです笑)

多分、大抵の人はここで「私はなんてダメなんだろう、これは発達障害かな?」という最大のヒントになるわけですが、ものわかりの悪い私はこのヒントを完全無視しました。
それどころか、“先輩が悪い”とあれだけ親切に教えてくれた先輩を、自分ができない原因にしたのです。笑
「先輩の教え方が悪いから私が成長できない、私はかわいそうだ。私は絶対才能があるのに」
そう思って疑いませんでした。

読んでて私にイライラしてきましたか?笑
この後もっとイライラする展開になりますので気をつけてください。笑

教育係に先輩に無視される様になった私は、他の先輩たちを頼りました。
他の先輩たちも本当に親切で、教育係に見放された私を不憫に思い、丁寧に教えてくれました。
しかし、それも束の間。その先輩たちも徐々に私の“やばさ”に気づきました。
何度教えても学習しない、ありえないミスをする、仕事のスピードが遅いし締切が守れない、会議中や研修中爆睡してる、集中力が無く仕事中にすぐスマホをいじる
(自分で自分のクソエピソードを書くのは恥ずかしいですね。書いてて最低すぎるなと改めて思いました)
そして「教育係が無視するのもコイツ相手ならしゃーないわ」という風潮が部署全体に広まり、とうとう私は孤立無援に。(自業自得ですが)
聞いても誰も教えてくれないし、仕事でのミスを誰も助けてくれない、という状態になりました。

そしてその影響は他部署にも出ました。

 

今まで私が出していた成果物は、先輩がミスを直してくれたり、論理のおかしい点を修正してくれていたおかげて何とか体裁を守っていました。
しかし、“孤立無援”となってからは、先輩がそういうチェックをしてくれなくなり、私の成果物はなんとも拙い状態で他部署に回される事に。
他部署の人からしょっちゅう呼び出されては怒られていました。
確かに私の出す成果物はとんでもない出来で、これを元に動かないといけない他部署の苦労といったらすごかったと思います。

さあ、どうでしょう。大概の人ならここにも大きな“ヒント”がありますよね?そろそろ発達を自覚するのでしょうか?

答えはNoです。

私は自分が発達障害だと気づくどころか、今度は“会社(組織)が悪い”と組織をこの原因に仕立て上げたのです。笑
その頃にはエンジニアの仕事に才能が無いと薄々気づいていた私は、ただでさえできない仕事に完全に飽き、とんでもなく生産性が下がっていました。
「私の才能は違う所にあるのに、何で会社はそれをわかってくれないの?」
「私の成果物をチェックしない先輩が悪いんやん。私の仕事も先輩の業務の一環なのに!」
「私はエンジニアじゃなくて他の才能だったのに、なんで面接官は見抜けなかったんだろう。面接って欠陥システムだな。面接官も大した事ないやん。」
といった具合に、“自分が悪い”とは露も思わず過ごしていました。
そんなわけで業務態度が改善するどころか、悪化する一方で、この頃は会社に来ても“何も仕事をせず帰る”という日々が続きました。

どうですか?ムカつくでしょう、私?笑  私もムカつきます。
私の傲慢さはそれだけにとどまりません。

「私の才能を活かせる部署に移して下さい!こんな部署に閉じ込めていたら私の才能が埋もれてしまいます。」と上司(課長)を呼び出して嘆願しはじめたのです。笑
皆さん、こんな図々しい人も世の中にはいてるんです。笑(ほんと恥ずかしいと思いながらこのブログを書いています)
その時の上司(課長:かなり優しくていい人)は、すご~く言いにくそうに
「会社は頑張っている人のキャリアを伸ばそうと考慮します。異動の前にまずは頑張りを見せてくれたらきっと会社も考慮します。決して優秀じゃないといけないわけじゃありません。『あ、この人頑張ってるな』という姿勢があれば、自然とあなたに合ったキャリアを会社が考え、チャンスをくれると思いますよ」
と言っていました。
すごい良い人でしょ?私はこの上司に未だに足を向けて眠れません。

しかし、当時の私はこれを聞いてなんと思ったか

「嘘だ!!!」と思ったのです。

何故か。
「会社は社員を部品としか思っていない。会社の都合で望まない転勤や異動はあれど、会社が社員のキャリアを考えてチャンスを与えて伸ばす事なんてしない」
「私たち社員はどこまでも部品でしかない。会社は社員を代替可能な部品として“利用”してくる。それならこっちだってとことん“会社を利用”してやるのが正しい姿だ!」
と思ったからです。
おそらくこの主張は完全に間違ってるわけではありません。今でも“ある種”正しいと思っています。(ただ、この時の私が言うなって話ですが笑)
不幸にも会社に利用され、身体を壊してしまった人を私は多く見てきました。
そういう方々にとっては、こういう考えもあると知ってもらうのはいいと思います。
しかし!私の様なモンスター社員がこう考えるととんでもない事になります。笑

そして私は権利ばかりを主張し、全く義務を果たさないまま、私は会社を利用します。
何をしたかと言うととにかく有休を取りまくりました。笑
「会社員のメリットは好きな時に休める事!」という理念の元、私は本当に自由に休みました。(社長になると、アポがあると休めませんし、芸能人だって休めば消えていきますよね)
その頃は1年間のうち、週に5回行っている週は数回しかないという状況でした。
「何でそんなに休めるのか?」と思いますよね。
仕事をしない私はひたすら会社の就業規則を読みまくっていました。100回以上読んでると思います。
そして、有休以外にもお給料の出るありとあらゆる休暇がある事をしり、それを使ったのです。
とんでもない執念ですよね。(その情熱を何故仕事に向けれなかったのか、それが発達なのですが、そう思っちゃいます笑)
ほとんどの人は定年まで存在を知らないであろうマイナーな休暇も全部使いました。
かつて不登校だった私は、休職には抵抗があり、休職にならないスレスレまで休暇を取得し、年間200日くらい休んでいました。笑
とんでもエピソードですよね。さすがにこれほど大きなヒントがあれば、発達と気づきそうですが…

しつこい様で申し訳ないのですが、やはり私は気づきませんでした。笑
就職して2~3年目はこういう経緯をたどり、私は3年目の終わりには社内ニートと化していたのです。

私の会社、すごいなと思う所は、“休暇の多さ”ではなく、笑
こんな私ですがイジメやパワハラには殆ど度遭わなかった事です。
みんな私を疎ましいと感じていて、確かに態度には出ていましたが“完全な無視”はなかったです。
上司から「ばかやろう」と罵倒される事もありませんでした。
確かに孤立無援でしたが、周囲の人たちは私なんかよりよっぽど人間できていたんだなって今ならわかります。
もっとも、悪意をむき出しにしてくる人も中には居ました。しかし、そういう人は私のせいで困っていた人たちの人数から考えると、割合として極僅かだったと思います。(もしかしてイジメに気づいてなかっただけかもしれませんが笑)
悪意をむき出しで私に向かって来ても、私は改善するどころか日々悪化の一途を辿り、そういう人たちはさぞイラついた事と思います。
しかも割合本人はケロッとしていた(もしくはそのように見えた)ので、私が憎たらしくて仕方なかった事でしょう…

ちなみに私のモンスターエピソードを挙げるときりがありません。
上司(課長)じゃ大して権力もないな、と思った私は不満や要望を部長、部長でだめなら所長、それでダメなら社長に言いました。笑
一つ言っておきたいのは、私の会社は1万人程の従業員がいる所謂”大企業”でして、こういう会社においてイチ社員が社長にメール(さすがに勤務地も違うので直接会えなかった)するのは、かなりイレギュラーな行為だそうです。笑
サラリーマンの常識として、”上でだめなら更に上に言う”というのはタブーだそうです。
この行為で当時の当時の上司はもしかしたら上から「あいつなんだ」と怒られたかもしれませんが、私はこの件で当時の上司から怒られた事は一度もありませんでした。
むしろ「沢口さんのそういう活発で物怖じしないのは良いところだ」とまで言ってくれた事があります。(やっぱりこの人には足向けて寝れません…)
そんなわけでこの辺のアグレッシブさは良い意味で今も残っています。笑
(さすがに今は迷惑はかけていない!…はず笑)
すみません、余談でした。

そんな私に転機が訪れたのは4年目に入ってからでした。
当然異動も無く、完全に私はふてくされていました。
本当に全てがどうでも良くなり、“これだけはやらないといけない”という最低限の仕事まで放棄する様になります。
そんな中、年度の始めに異動で私のグループの主任が異動でいなくなり、新任の方が来られました。
この人が、私の人生にとってのきっかけ(”最大のヒント”)を与えます。

この方、とにもかくにもとんでもなく“お人よし”つまり”いい人”だったんです。

私は今までの経験上「最初だけだろう」と思っていたのですが、この見立ては外れました。
彼はものすごく勉強熱心且つ優秀で、1ヶ月もしないうちに、これまでこの部署に丸3年いた私の知識を遥かに凌駕しました。(私の知識がショボすぎるのもありますが笑)
それでいて他人を見下したりせず、常に部下を気遣う優しさを持っており、当然すぐに部署内で皆から厚い信頼を得る事に。

一方、私は昔から何となく“いい人”というのが苦手で、昔からそういう人とは目を見て話すことが出来ず、避けていました。
(決して私の友人が”悪い奴”というわけではありません。笑 )
当然、その新しい主任にも何となく苦手意識があり、仕事上どうしても関わらないといけない事は多々ありましたが、結構避けていしまいました。
本来であれば主任に報告しないといけない案件も、主任が異動したてでわからないのを良い事に、放置して報告を極端にしなくなったのです。

皆さん、もう十分に私のヤバさはわかって頂いたと思いますが、くり返します。私という人間はつくづく本当にたちが悪かったのです。

仕事において一番の迷惑(失敗)は仕事が出来ないことでも、頭が悪いことでも、プレゼンが下手なことでもありません。
月並みですが、”ほう・れん・そう”※が出来ないことが一番人に迷惑をかけます。(※報告、連絡、相談の事)
例え作家のように一見一人で仕事をしている人であってもこれは同じです。
どんだけ立派な作品を書き上げても編集者に最後”報告(提出)”しなければ、世に出ることもなく、単なる妄想で終わってしまいます。
編集者でなくても例えばネットでもいいんです。匿名掲示板だとしてもいい。とにかく誰かに向けて”報告(発信)”しないと成果は成果で無くなります。
下手でも出来てなくてもとにかく何かを発信することは仕事、引いては人生に於いてとても大切なことです。

少し話がずれましたが、この発信の基本である”ほう・れん・そう”当時の私は本当に出来ませんでした。
自分としては出来ないんじゃなく、やらないんだと思っていましたが、やらないのは出来ないのと同義ですよね。
私は仕事の殆どが【ゲームオーバー】になってから報告していました。正確には報告というより、”周囲が気づく”というのが正しいです。
(「あれどうなったの?期限だよね?」→「全然できてません」という事が何度あったことか。)

新しい主任になってから、主任がまだ全ての部下の業務進捗を把握してないのを良いことに、私のこの”報告逃れ”はかなり積み上がっていきました。
期限が切れた重要度の高い仕事がかなり放置されていました。

「なぜ報告しないのか。全くもって理解できない」という方、あなたは本当に素晴らしいし、優秀な方です。
もちろん、優秀なあなたはこんな情けない事態ならないと思いますが、理解できないままだと優秀なあなたはきっと出世する(あるいはしている)と思いますが、その時に必ず足を掬われます。
実はこういう報告しない人間は結構います。(私ほど重度はなかなかいませんが)
発達障害の特性に”先延ばし”というのがありますよね。
これは先延ばしの究極系です。
最初の先延ばしはほんの小さいものです。
「あーこれわかんね。でも聞いたら怒られるかもしれないし、また今度でいいや」
それが徐々に大きくなります。
「うわー。わかんなくて手を着けなかったらもう締め切りギリギリやん!これ周りに言うと『まだ手を着けてなかったの?!』って言われるやろうし、とにかく一人でなんとかするか」
ここで一人で抱えてなんとかなればいいのですが、大概の場合何とかなりません。笑
「やばい!わからないから進まないし、量も多い…もう嫌だ。今日が締め切りってなってるけど、こんな状態みせれない…言いたくないな…謝るのは明日でいいや」
この「明日でいいや」が繰り返され、上司が「そういえば、あれまだ?」と気づいた頃には悲惨な事になっているという。

これをみて不思議に思う方もいるかもしれません。
私ほど図々しく、メンタルも強いんだったら、別に怒られるのとか気にせずすぐ報告できるやん!と。

私がたち悪いのはそういう所なんです。

“怒られても大して凹まない癖に、プライドだけは高いから自分の負けを認められない”というのが当時の私です。
自分の能力を過大評価し、まず締め切りギリギリまで何もしません。期限が近くなったら何とかなるっしょ』理論です。
そして課題を未来の自分によろしくするわけですが、期限ギリギリになると『もう絶対間に合わない、できない』というのがわかります。
でも認めたくないんです。“できません”って言うのは実は勇気がいることなんですよね。
私の場合、「これやって」と言われたときに「できません!」と断るのは抵抗が無いのですが、一度自分が”できる”と思って引き受けた仕事を「やっぱりできません」という事にすごく抵抗がありました。
それは怒られるという心理的負担もありますが、「私はできない」と自分で自分の能力に見切りをつけてしまう事になると思っていたからでした。
ここまで読んだ方ならもうおわかりでかもしれませんが、私は自分の能力を過大評価していました。
もちろん、周囲からの評価と自己評価に差違があることは自分でも気づいていました。
でも、私の中には“周囲が私を認めてくれないのであれば、私だけは私の能力を認めて、愛そう”という確固たる信念があり、周囲からの評価と差違が広がれば広がる程、その気持ちは強くなりました。(それがまた確執を生むのですが…)
これまで私の行為をみて不快に思われた方もいると思います。
ただ、私はこの信念が無ければとっくにこれまでの人生でドロップアウトしていた事でしょう。
私を幼少期から一人の社会人として経済的に自立して生活できるまで生きてこれたのは、ひとえにこの“自己愛”あったからこそという事をどうかご理解頂きたいです。(決して”こうなれ”とは口が避けても言えませんが 笑)
どうしてここまで自己愛が肥大化したのか、という話は更に昔の幼少期~大学のエピソードに繋がるのですが、この話はまたいつかという事で割愛します。
つまり「できませんでした」と言うことは、私にとって自分で自分に×を付ける行為であり、唯一にして最大である味方の”自分”を裏切る行為だったと言うことです。
他人が私を否定するのは平気でも、私が私を否定することにはとんでもなく脆い、それが私でした。

さぁ、大いに脱線しましたが、「できませんでした」の報告がすっかり出来なくなった私はどんどん仕事が溜まり、ついにXデーが訪れます。
Xデーのきっかけは何だったかわかりません。
先輩が主任に私の事を言ったのかもしれませんし、上司が主任に私の業務進捗を確認したのかもしれませんし、主任がたまたま気になっただけかもしれません。
その日、私は主任に呼び出されました。
そして、私の滞りまくってすっかり腐ってしまった業務が白日の下に晒される事になったのです。

主任はゆっくり私の業務について確認しました。
この時の私の感情は心臓がバクバクして、視界がぼやけるくらいにとにかく”やばい”と感じていました。変な汗で全身ぐっしゃりしながら、主任の問いかけに答えました。
私にとって「できなかった」を報告するのがいかに苦痛であったかは散々書きましたが、この散々ためてきた「できなかった」を一挙大放出するわけで、これはもう…苦痛という言葉では収まらない程で、未だに適切な感情を表す言葉が思いつきません。
犯罪者も取り調べされてる時はこんな感情なのかもしれないですね。笑
自分がやった事とはいえ、とにかくキツかったです。

これまでもこういった”業務確認の場”が無かったわけではありません。
もちろん、私がこんな状態だから何回もありました。
その時ももちろん苦痛でしたが、それなりに適当にごまかしていました。
「何故ごまかせるんだ」と思う人がいるかもしれませんが、私たちの部署が担当している業務は一朝一夕で完結するものでなく、3年先に実施する計画を1年がかりで立てる、といった長期戦が主でした。
つまり、本当のデッドライン(締め切り)というのは結構先にあり、業務確認の場では「遅れてはいるけど、ここの期間でこれだけやるので、最終の締め切りには間に合う」というまともそうな計画を語ってやり過ごしていました。
上司も私のやばさは知っていたので、できるだけ締め切りに猶予がある業務を与えてくれていました。また、負担を減らす為に業務はバライティに富んだものを与えるのではなく、集中できるように、と業務の種類を限定してくれていました。
締め切りに猶予がある仕事というのは、当然ボリュームは多いです。でもそれだけに集中してやれば良いだろう、という上司の配慮でした。
私も仕事を受けた当初は「これだけをやればいいのか。締め切りもまだまだ先だし、楽勝だ!」と思っていました。
勘のいい方にはわかるかもしれませんが、ADHDには結構この手の仕事の相性は最悪だったりします。
よっぽど好きな事でない限り、一つの事をコツコツと…というのはADHDを持つ方だと苦手な方は多いのではないでしょうか?
通常なら締め切りから逆算して半年後はここまで進まないといけない、三ヶ月後はここ、一ヶ月後はここ、なら今週はこれだけ進めないといけないし、今日はこれくらいやらないと…という順序で進めていきますよね。これがまあできないんです、私。笑
「こんだけ締め切りまで時間あるし、まあ今日一日やらなかった事で大して影響ないだろう。どうせ1日にできる量なんてたかが知れてる」
1日にできる量なんてたかが知れてるからこそ、コツコツやらないといけないのですが、それを理解できないし、実践もできないのです。
受験された方、周りにこういう人いませんでしたか?
「まだ1年あるし、夏から本気出せば余裕っしょ」って人。私です。笑
(こういう人は夏になっても、秋になっても、冬になっても結局やりません。笑)
まあADHD関係無しに、私の性格的面も大きいと思いますが、とにもかくにもやらなかったと…。(ADHDを持つ人でもちゃんと長期戦できる人もいますので、誤解なさらぬよう)

つまりこの日主任から問われていたのは”最終の締め切り(デッドライン)”をとっくに超えた業務についてでしたので、もう言い逃れはできず、本当に最低最悪の瞬間だったという事です。

「なるほど、それでようやく発達に気づいたのか」と思う方がいるかもしれませんが、実は違います。
こういう最悪の状況になった事は仕事でも今までの人生でももちろんありました。
でも結局”辛いのは一瞬”という事で割とすぐ立ち直っていました。

では何故私は発達と自覚したのでしょうか。

それはその後の主任の対応が今まで経験した事がない対応だったからです。
まず、主任は私を全く責めませんでした。
正直いって、こんな状況だったらどんな聖人でも文句の一つは出てもおかしくありません。
しかし、主任は状況を正確に確認する為に情報を集めるだけで、そこに一切感情は入れませんでした。
もっと衝撃的だったのは、”理由”すら聞いてこなかった事です。
私の上司(課長)は優しく人格者で頭のいい人でした。業務が滞っている私の状況を知ると、決して怒る事はしませんでしたが「何故そうなってしまったのか」という原因をいつも聞いて来ました。
これは上司として当然の事です。原因がわかれば解決策が立てられるのですから。
「体調が悪かったのかな?」「先輩とのコミュニケーションが上手くいってないとかあるのかな?」「なんか業務が進まない原因ってあるかな?」
私も当然、それには答えなくてはならないとわかっていたので、思いつく範囲で答えていました。
でも、私も(もしかしたら上司も)薄々気づいていたのです。

私ができない事に理由(原因)なんて無い、という事に。

発達障害がわかった今でもこの気持ちは変わりません。
何故なら、”理由”は追求すると最終的に無くなるからです。
できない理由が発達障害なら、じゃあなんで発達障害になったの?なーんて追求していくと、結局「わからない」に行き着くものです。
発達障害じゃない人はもっと大変です。”私が単純に怠け者でダメな奴だから”という理由にたどり着いたとすれば、その後の人生で何か上手くいかない度に「だって私はダメ人間なんだもん」というのがその人の中で”答え”になってしまい、それ以上の工夫や努力をしなくなってしまうからです。
だから私は思考停止を避けるため、今でも自分ができない事に理由は求めません。
今では、私は”できない”という事はその分 ”考える” ”工夫する” チャンスを貰えたと思い、”できない”は”価値”だな、と思える様になりました。
でも当時はできない=悪だと思っていたし、自分ができない事を認める事はできませんでした。
だから上司と一緒に理由(原因)探しもしましたが、この”原因を聞かれる”というのは存外キツイものがあったわけです。

本当に不思議だったのですが、主任は”理由”さえも聞かずに、一生懸命私の業務がどういう状況であるかの”事実”だけを確認しました。
そして細かいところまで私が今どういう状況にあるかを確認した上で、彼は最終的に私にこんな指示を出しました。
「じゃあ、まず君が持っている業務や関連するデータのリンクをメールで教えて貰えるかい?」
今から思うと、よくある”できない社員の業務を一旦引き受ける”、という行為だとわかるのですが、これまでそういう時は「じゃあ俺が引き継いでやるから、まずデータ送れ」という”やってやる”発言から始まっていました。
もちろん、やってもらっているのでそれは正しいですし、とてもありがたい事です。
でもこの主任の発言は私でもできる本当に小さな”業務指示”を出した事で、私が”やってもらう”のではなく、主任に”やってあげる”という立場を作り出したのです。
メールを送付した後、主任から「ありがとう」と言われました。
仕事上では本当に長らくかけられていない言葉でした。

その後もそういう小さな業務指示を私に出しつつ、上手く私の持っている業務を引き継いだ主任は、それをだれかにやらせるのではなく、分担はしたものの殆どを主任がやりました。
学生さんが読んでいるかもしれませんので、一応説明しますが、サラリーマンはちょっと偉くなって部下やチームを持つと、あまり自分で手を動かして下っ端の実務をする事はなくなります。それより部下の成果物や業務進捗をチェックしたり、部署やチームの目標を定め、それに向けた業務計画を策定したり…つまりは大きな仕事をやるようになります。
主任はこうした主任としての業務をこなした上で、私のどうしようもない仕事を被ってくれました。そして、仕事が遅れて他部署からクレームも沢山きましたが、矢面に立ったのは主任だし、頭を下げたのも主任でした。
異動したてですが、主任はめちゃくちゃ残業していたそうです。

どうですか?良い話でしょう?というか、主任いい人過ぎると思いませんか?
さすがの私もこれには申し訳ないな、と思いました。
しかし、心と仕事の負担が軽くなった私は、申し訳ないという気持ちもすぐに忘れ、相変わらず遊ぶ事ばかり考える様になりました。
もうコイツ救えねえな、と思うでしょう。笑
定時で帰ってネットフリックスをみたり、ネットサーフィンしたり、何もせずごろごろしたり、友達と遊んだり…今までもアフター5は楽しんでいましたが、仕事の締め切りという後ろめたさがなくなった私は、この時期本当に幸せでした。笑
受験終わった後の高校時代ですね。笑
受験生時代も勉強してないのに、受験が終わった瞬間「もう勉強しなくていいんだー!」といってテレビを観る、と。「別に受験生の時からテレビめっちゃみてたやん」と思うのですが、重荷が無くなると同じ行為をしていても楽しみはひとしおです。

そんなある日、トラブルが発生しました。
私の部署はトラブル時の解決の鍵となる部署です。トラブル発生時にはグループや各々の担当業務関係なく、部署一丸となってトラブル解決に奔走します。
もちろん、私はそんなのまるで興味がありません。
「あ、もうすぐ定時だ」という事ばかりが気になりました。
実はこのトラブルは私の担当範囲で起きたものなので、通常であれば私は定時を気にしている場合ではありません。トラブル対応解決の中心となって動かないといけない立場です。
でも私はトラブル時みんなが一丸となるのを良い事に、自分は努めて関わらない様にしました。(すごいクズっぷりです)
もうその時の私の頭の中には責任感やトラブル対応という言葉はありません。
”定時” ”定時” ”定時”これしかありませんでした。
そしてついに定時が来ました。
もちろん、トラブル対応はまだまだ続いています。
でも私は帰りたくて仕方ありませんでした。
そして、私は一番 人のいい主任に「帰っても良いですか」と聞いてしまいました。
ちなみに、今までもこういう不用意な発言はよくしていて、その度に先輩からは「ふざけてんのか?」とガチ切れされていました。
主任はそんな私のとんでも発言に「え?なんで?」と聞き返して来たので、「さすがに怒られるかな」と思ったのですが、続けて衝撃的な発言をしました。
「定時すぎてるし、帰って良いに決まってるじゃん!気にしないで」
と言って来たのです。
それ、嫌みで言ったんじゃないの?と思う方がいるかもしれませんが、主任は至って真面目に言って来ました。
もし嫌みで言って来たら私もわかりますし、私が心打たれる事もなかったでしょう。
仮にガチ切れされていたら、「定時すぎてるんだから帰って良いに決まってるやん」と私が私自身を励まし、大して改心もしなかったはずです。

そして、家に帰り、私はしばらくぼーっとしていました。気がついたら夜です。
「今頃主任はまだ私のトラブル対応で働いているんだろうか」
そう思った瞬間、今までの私が行って来た行為や出来事がコップから水が溢れる様に、抑え切れなくなったとばかりに次々と思い出されました。

「私は、一体何をやっているんだろう」

私はこれだけ周囲の人間に恵まれて、多くのチャンスをもらったはずなのに、こんなにもいい人たちに迷惑をかけて、自分を優先して…
私がした事といえば、周囲の人間を恨み、環境を恨み、会社や社会を恨み、自己を正当化し、”かわいそうな私”と”理解してくれない周囲”を自分の中に作りあげたことだけ。
一体何の誰の役に立っているのか、ここまで迷惑をかけて一体自分はどうなりたいというのか。
考えていくうちに涙が止まらなくなり、ものすごい吐き気に襲われました。

そして私は”理由”を求め、発達障害の診断を受けにいきました。

こういう会を主催していると、「最近発達障害を知り、”これ私だ!”と思って診断を受けた」という方が結構いらっしゃいます。
そういう方は発達障害の中でもかなり”社会性”が高い方だと思います。
実は、私はかなりまえから発達障害の存在は知っていました。
何故なら周囲に「ADHDやん」と言われた事が何回かあるからです。笑
「もうこれ”ヒント”じゃなくて”答え”やん」って感じですよね。
それでも自分がADHDとは思わないんだからすごいです。笑
ここまで読んだ方ならもうお気づきかもしれませんが、発達障害が重度である程、自分で気づきにくい傾向があります。
日常の”ヒント”で気づく察しの良さがあれば、人にそんなに迷惑をかけていない可能性が高いです。
皆さん、「迷惑かけてる」とよく仰るのですが、本当に迷惑をかけている人はかつての私のようなメンタルモンスターを指します。
迷惑をかけている自覚がある人は自分を客観視できている分、工夫次第で改善する見込みは多いにあります。逆に自覚のある人はその優しさ故、ご自身がメンタルに不調を来す場合も少なくありません。
本当に迷惑をかけている人は、自分ではなく、周囲のメンタルを壊します。そしてそれに気づけません。

そして私は発達障害の診断が下りました。
”理由”を見つけた私は、喜々として上司や主任にこの事をカミングアウトしました。
喜々としてカミングアウトする発達障害者ってあまりいてないと思いますが、私はとにもかくにも”理由”ができてホッとしたのです。
あくまで私のケースですが、私はカミングアウトした事で、状況がかなり好転しました。
やはり周囲の人にかなり恵まれていたというのが大きく、上司も主任も発達障害を知らなかったものの、一生懸命理解しようと努めてくれ、かなり配慮してくれました。
(ここでは具体的なエピソードは割愛します)
そして上司は、私の特性や性格を考え、適切な部署への異動に尽力して下さいました。これほど部署内外での評判が悪くなってしまった私を、一生懸命他部署に売り込む大変さと言ったら…想像しただけでもげっそりしてしまいます。

今ではすっかり会社に馴染み、仕事もかなり楽しくなり、周囲の評価も嬉しい事にかなり好転しました。

あーよかった!めでたし、めでたし…ではありません!

一連の出来事が落ち着いてから、私はかつてない程反省しました。
多分人生で一番反省しました。
上司や主任に迷惑かけたから?
もちろんそれもありますが、その反省は診断を受けた頃に散々しました。

もっととんでもない事をやらかしたことに、私は気づいてしまったのです。

発達障害の診断を受けたと言う事は、発達障害の看板を背負ったという事です。
私の今までの言動を振り返るとどうでしょうか?
”最低”そのものでしたよね。
まだまだ世間では良くも悪くもそこまで”発達障害”が知れ渡っているわけではありません。
私という人間を通して、初めて”発達障害”を知った人は発達障害にどういうイメージを持つと思いますか?
きっと「うわぁ。発達障害ってほんとやべーじゃん」「関わらない様にしよう」と思う事でしょう。
それも当然です。それほど私の自己中心的な行為は他人に迷惑をかけていました。
しかし、世の中には発達障害を持ちながらも、努力し、周囲を気遣い一生懸命生きている方もいっぱいいるはずです。
私=発達障害ではありませんが、私のせいで他に発達障害を持つ人まで色眼鏡で見られたり、偏見差別を受ける事に繋がるかもしれない。
つまり

私は発達障害のイメージを悪くしてしまった

というやらかしに気づいたのです。これは本当に反省しました。
私自身が最低だと思われる事は大した影響はありません。でも私=発達障害=最低という図式に繋がってしまう事はとんでもない事です。
会を立ち上げてから、私の見立ては間違っていない事に改めて気づきました。
皆さん、発達障害を抱えていますが、苦心しながらもかなり工夫して日々の生活をされています。頑張っている方は本当に沢山いました。
本当に素晴らしい人が沢山います。
かつての私は、彼女たちの足を引っ張っていました。

私は、イメージを悪くしてしまったからこそ、今度はイメージを良くする為に何かしたいとずっと考えてきました。
この想いは、この会を立ち上げるきっかけの一つにもなりました。

当事者会でお会いした方にはよく「こんな会を立ち上げるなんて偉いですね」なんて言われますが、これを読んだら幻滅するかもしれません。笑
私のバックグラウンドはこんなにも褒められたものじゃないので、「偉い」と言われると歯痒く感じます。なんか騙している様な…(でも、褒められるのはすごく嬉しいので素直に喜んでいますが笑)

このブログをここまで読んだ方、どれくらいいるのかわかりません。
ひとつ言えるのはここまで読めるなんて相当な変態です。笑
書いている私でさえ、多分読み返さないレベルです。笑
でも、読んで下さりありがとうございました。

私の汚い部分を相当さらけ出しました。
もっと書きたい事(最低の状態からどういう風に思想や思考が変わって、この会のコンセプトを構築していったのか みたいな事)もあったのですが、もう力つきました。笑
ここからが綺麗なところというか、私の良いところが始まると思うのですが、もう割愛です。笑
是非実際に会って頂いて確かめて頂くのが一番かなと思います。

そういうわけで、当事者会、お待ちしています♪

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