皆さん、PTSGってご存知ですか?
「え、PTSDじゃなくて?」
そうです。PTSDではなく、PTSGです。(もしくはPSG)

知名度が結構あるPTSDというのはPost Traumatic Stress Disorderの略で、日本語で【心的外傷後ストレス障害】と言います。強いストレスがその後心の傷として残る事です。所謂トラウマというやつですね。
一方、私が今回お話しするPTSGというのはPost Traumatic Stress Growthの略で、日本語で【心的外傷後ストレス成長】と言います。強いストレスを受けたあとに成長する事を言います。(PTGとも言うそうです)

知ればちょっと人生に役立つかもしれないので、今回はPTSGの話をしたいと思います。


PTSGな体験、皆さん何か思いつきますか?
凄い嫌だった体験の後に成長した、とか考え方が変わったとか、そんな経験です。
PTDGの大切なポイントとして、「こんな出来事は無い方が良かった」というのがベースにあります。
「あの不幸があったおかげで私はこんなにも立派になれた。不幸に感謝!」というのとは違います。
そりゃ、無い方が良かった…でも起こってしまった…その結果、何とか乗り越えられた。これがPTSGです。

私のPTSGな体験談をシェアしますね。
一番印象的なのは小学校低学年の頃、母親に思いっきり叱られた時の思い出です。
それまで私はとにかく発達の遅れが酷く、親はもちろん、幼稚園の先生からも毎日怒られまくっていました。(詳しくはこちら
怒られない日は1日も無いと思います。辛かったせいか、頭が悪いせいか、記憶がほぼないので定かではありませんが。笑
今では不遜なくらいに自己肯定感が高い私ですが、この頃の自己肯定感は最低でした。
「どうして出来ないの?」「あなたの将来を思って言ってるのに…」「あなたのために怒ってるのよ」大人たちの言葉は残酷です。
『こんな怒られているのに、一向に大人の期待に応えられない、私はなんてダメな奴なんだ…』
『私のために大人は怒っているのに、なんで私は他の子と同じようにできないんだろう』
そんな気持ちがずーーーーっと心の中にありました。
あまりに自己肯定感が低く、私は幼稚園の年長さんの年齢には大きな10円ハゲが頭に何個もできました。笑
そんな私の思考を丸っと180度変えてくれたのは母の言葉です。

その日、私は習い事に行きたくないとグズっていました。
言う事をきかない私にしびれを切らした母はもう、カンカン!
私の髪を思いっきり引っぱり、私のケツを叩いてこう言い放ったのです。
「あんたのために怒ってんじゃないよ!私は今、あんたが本当に憎たらしくて怒ってんだよ!」と。
それ親が言っちゃダメでしょwという台詞ですが、この一言が私を本当に救ってくれました。
『なーーーんだ。大人って別に私のために怒ってるんじゃないんだ。自分が怒りたいから怒るんだ』
という思考に私はクルっと変わったのです。
そのおかげで、【大人=正しい】 【大人から評価される=良い事】という等式が崩壊しました。
それ以来、怒られても自己肯定感が下がらないのはこの出来事のおかげです。
【大人=別に子どもと同じで間違う】⇨【大人に怒られる=怒る大人の方が悪い】という少し歪んだ等式に置き換わったので、怒られても「なーーに言ってんだ」くらいのテンションになりました。
そりゃあ、こっぴどく叱られたら凹みます。凹みはしますが、絶対に立ち直ります。
『大人なんかに評価されなくたって、私の良さは私が一番よくわかってる、私だけは私の味方でいるんだ』という強い気持ちがあったので、自己肯定感が下がる事もありません。
今から思うと、この思考の転換ってかなーーり極端だったので、良い所も悪い所もありました。
本当に私の事を思って厳しい事を言った先生や親の言葉も、全然覚えていないのです。笑
どの先生に言われたか覚えていませんが、「ちひろちゃんはもったいない」と言われた事があります。
自分を否定する言葉を全て拒否していた私は、やっぱりどこか偏っていたと思います。
本当に正しい自己肯定感を持っていれば、批判も受け止めて自分の糧にできるはずですが、私にはそれが出来ませんでした。
先生の「もったいない」という言葉は今となってはこういう意味だったのかな、と思います。
少し話がそれましたが…。

とにかく、私は母からの一言で考え方が思いっきり変わりました。
歪んでいたとは言え、自己肯定感が高かった事で助かった事は何度もあります。
今までの人生で何回も「よくそれで生きてられるね」と言われるのですが、普通の人から生きていられない様な事態(どんな事態だ笑)でも、私は健康に過ごす事ができました。
子どもって、大人が思っている以上に狭い世界で生きています。
○○ちゃんは褒めてもらえたのに、私は何も言ってもらえなかった…大人からすると「え?そんな事?」って思うけど、子どもにとってはそれが大きかったりします。
学校生活に悩んで自殺する人もいます。大人は「死ぬくらいなら逃げればいいのに」って言うけど、子どもからすると死ぬ事よりも逃げる事の方が怖かったりします。
私は、母のおかげでその狭い世界から常に少しはみ出していました。
「辛いのは今だけや。大人になったらこんな学校の奴らと一生会うもんか。」「先生から評価されなくたって、大人になれば学歴しかみられないんだから大学さえ行っちゃえば関係ないね」「先生だって会社勤めしたことない癖に、なーにが『社会に出てから恥かくよ』だ」
(※これは私が若い時に穿った見方をしていた時の例です。誤りがあるので鵜呑みにしないで下さい笑)
とまあこんな感じで、可愛くない子どもでした。こんな考え方をしていたし、実際口にも出してました。(よって、先生からめちゃくちゃ嫌われてました笑)
でもそのおかげで先生からどんだけ怒られても、親からどんだけ怒られても”折れない自分”で居られました。
(そもそもこんなに尖ってなかったらそこまで怒られなかったという説もありますが笑)
まとめると、母の一言から私の人生観が大きく変わった出来事でした。

この話をすると、よく「酷いお母さんですね」って言われるのですが、私は全然そう思いません。
母の事はこれっぽっちも恨んでないどころか、普通に感謝してます。親子関係もまあまあ良好です。(たまに気分で絶縁しますが笑)
お母さんだって人間です。常に正しくはいられないし、そんなものは求めていません。
お母さんが弱みをみせてくれたから私は「あ、それでいいんだ」と思えました。
人間って完璧じゃないし、私はそんなところが魅力だと思っています。
人間の愚かで可愛らしいところ=オロカワイイところが私は大好きなんですね。
ダメな所があるからお互い補い合えるし、出来ない事があるから人間は工夫すると思っています。
(何だか柄にも無く綺麗事を言ってしまいました笑)
裏を返すと、「あなたの出来ない所も認めるから、私の出来ない所も大目に見てよ」って事です。笑

 

なんかPTSGの話をしようと思ったのに、この話は長かったですね。スミマセン。
母からのお叱りがピークに達し、あんまりのストレスに振り切っちゃったというパターンです。
「母の一言は無い方が良かった」とまでは思っていないので、PTDGというには微妙ですね、これ。
散々話しといてこれ微妙な例なのかよ!って感じですが。笑
くり返すようですが、PTSGのスタンスとしては「こんな出来事、起こらない方がよかった」という事です。

皆さんもそんなPTSGな経験ありませんか?
申し訳程度に、私のPTSGらしき体験をちょっと書きます。
・小学校の頃、先生から「あんたは休み時間はあれだけうるさいくせに、皆の前では発表まともに出来ないのね(笑)」と馬鹿にされた事がきっかけで、プレゼン能力が飛躍的に向上した。
・部活で下級生にキャプテンを取られた悔しさから、猛練習して市の選抜に選ばれた
・発達の診断を受けて、あんまりにも凹んだから、でこ女を立ち上げた
・業績評価が低かったから、でこ女の活動に力を入れる事が出来た
・家族がヤバすぎたおかげで、ネタとして皆に笑ってもらえた
・トイレを我慢しきれなかった事から、自分の限界を知る事が出来た
・コミュ力がなくて皆から嫌われていたので、友達になってくれた人とは深い関係が結べた
・宿題をやらずにめちゃくちゃ怒られたが、大人になってからでこ女で共感を得る事が出来た
挙げるときりがないのでこの辺にしておきます。
大きいストレスから小さいストレスまで、PTSGだらけですね。この世は。笑

何故私がPTSGの話をし出したかというと、「ネガティブの力ってすげーんだぞ」というのをわかって欲しかったからなのです。
ネガティブってポジティブの5〜6倍強いらしいんですよ。
例えばデートで1回ヘマしたら、それを払拭するには”プレゼントあげる” ”おごる”みたいなプラスなイベントを5回行わないとトントンにならないと言われています。(皆さんの実体験的にどうですか?笑)
ネガティブ感情はポジティブ感情より何倍も記憶に残るし、強いんですね。
そうなると、もうこれをエネルギー源にしちゃったえばいいんじゃないの?って私は思うんですよ。
もちろん、いつかはポジティブな感情で向き合えるようになればいいと思います。
でも、それが出来ないなら、ネガティブが起点でもいいんじゃないかなって思うんです。
「私はストレスに弱いから、打ち勝てない」と思う方もいるかもしれません。
でも、PTSGの研究の中では、ストレスに強い人より、ストレスに弱い人の方がPTSGを経験すると言われています。(※諸説あります)
何故かというと、ストレスに強い人はPTSGになる程、落ち込んだり悩んだりしないからだそうです。
つまり、ストレスに弱いという自覚のある人の方が、PTSGを沢山経験出来る訳ですね。
PTSGなんて経験したくないよって人も多いと思いますが、それだけ成長しやすいという事ですね。
悩んでいる事、辛い気持ちでいる事は悪い事ではありません。むしろ、成長の兆しと言えます。
身長が急激に伸びる時に成長痛を感じるように、心の痛みは心の成長に繋がるんです。
「そんな事言われても、私は何にもやり遂げられない。辛くてそれどころじゃない」という人もいるかもしれません。
というか、私が結構このタイプです。
「綺麗事なんていいんだ!今、辛いんだよ!」って。
PTSGのポイントで大事な事をもう一つここでお伝えしておきます。
PTSGとなるタイミングは”今すぐ”じゃなくても良い、そして”G(成長)”の概念は結構自由 という事です。(1つじゃなくて2つでした笑)
今は辛い、痛い、悲しい、何も考えられない それでいいんです。だってPTSGって「起こって欲しくなかった事」だから。そうなるのも当然です。
むしろすぐにPTSGに昇華出来る人は殆どいないと思います。ちゃんと熟成させてあげて下さい。
何年か経ってから「そういえばあの経験って」と振り返った時に、自分がどう変わっているかを感じればいいんです。無理は禁物。
そして、”成長”と言いますが、これは”成功”というわけではありません。
何をもって”成長”なのかは、自分で決めていいんです。
「あの辛い出来事のおかげで、今は億万長者になりました!」みたいなサクセスストーリーじゃなくてもいいんです。笑
他の人からすると「何にも成長して無いやん」と言われるような事でいいんです。
ちょっと考え方が変わった、ちょっとストレスに強くなった、ちょっと人に優しくできるようになった、何にも変わってないけど、そんな自分を受け止めれるようになった…等々、何でもありです。
むしろ、自分で意味付けする事に醍醐味があると言えます。(この話はまた話すと数千字かかるので割愛します)
辛かった事、しんどかった事に自分で意味付けしていけば、それはもうPTSGです。

私は辛い出来事の時に散々泣き、凹み、悩み、絶望の中で必ずこう思います。
「こんなに辛かったんだから、絶対に元とってやる!」と。
何をもって元をとったのかは私が決めるのですが、多分皆さんからすると「それ元取れてないよ!」って事も多々あると思います。笑
でも自分の中では元取れたのでいいのです。
私がやる最強の手法としては、「もう生きてたら元取ってるわ!」という意味付けです。最終手段ではありますが、よくやります。笑
どう考えても糞イベントって人生に結構起こりますよね。これPTSGにならんだろ…ってパターンのやつ。
それも最終的にはこの一言で片付けます。「でも生きてるってすごくね」って。

最後に、PTSGの3ステップをまとめます。
①辛い出来事を受け入れる
→現実逃避しないという事です。良かった!という風にポジティブ捉える必要はありません。起こったという事実だけを受け止めて下さい
※ここで具合が悪くなる人はすぐにやめましょう。まだ熟成させておく必要があるという事です。
②その出来事の結果自分がどう成長したのかを考える
→これはもうねつ造レベルでいいです。私はねつ造レベルでやってます。思いつかなかったら「それでも生きてるって私すげーな」でOKです。
③元を取る
→人に話して笑いや感動を与える、実際に行動して見返してやる!、一人思い出して気持ちよくなる…元の取り方はなんぼでもあります
以上の3ステップです。簡単ですね!

※ここで一応注意事項も書いておきます。
実際にPTSDの方で辛い思いをされている方、無理にPTSGにしようとする必要はありません。
むしろ思い出そうとしてかえって辛くなる可能性があります。
PTSDやフラッシュバックでお悩みの場合は、専門家の治療をオススメします。

そんなこんなで今日も長々と書いてしまいました。
ずーーーーっと書きたかったテーマ、ようやくかけました。
やたらめったらネガティブって嫌われてるけど、私はそう思いません。
ネガティブの力、すげーんだぞって思います。
もちろん、ポジティブでいるのも素晴らしい事です。
でも、ネガティブを悪者扱いしちゃう必要ってないな〜、としみじみ。
よかったらでこ女の会やラジオなどで皆さんのPTSGな体験、教えて下さいね♪募集してまーす!

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