こんにちは、かえるです。

先日、manaさんが死生観についての記事をアップされていたので、便乗して……。

消えたいと思うとき。

あるある、と頷きながら読みました。
私も割と毎日、「死にたいなぁ」と考えながら生きています。

昔、いろんな人に「死にたいって思ったことある?」と聞いて回ったことがあるのですが、「1回もそんなの考えたことない」って人がそれなりにいて驚きました。

私にとって死にたいと思うことは生活の一部。しんどいサインみたいになっています。

 

 

 

 

最初に死にたいなぁと思ったのは、たぶん小学生の時だったと思います。
道徳の授業で「いじめ」が取り上げられて、「いじめはいけない」「いじめを苦にして自殺してしまう子もいる」「いじめられたら相談して」ということを教えられました。
でも、それで私が感じ取ったのは、「自殺はいけない」というメッセージではありませんでした。

「あ、しんどかったら自殺っていう道があるのか」

小学生の時にはすでに周囲と違う自分に気付いていた私は、よーし将来このまましんどかったら自殺しよう、と心に決めました。学校も家庭も、何もかもしんどくて、生きるのが辛くて、でも、自殺をしたら終わりにできると知って、もしかして、嬉しかったのかもしれません。

高校生の時、ようやく自殺未遂をしました。初めて自分に刃物を向けた時は震えて、なかなか踏み切れませんでした。もちろんのこと死にきれませんでした。今では小さな傷跡が残るだけです。カミソリでは死ねなかったので、次は処方薬をたくさん飲みました。救急車で運ばれて、目が覚めたら病院のベッドに縛り付けられていましたが、やっぱり死にきれませんでした。

あの日のことを思い出すと、あの時ちゃんと死に遂げていればな、と思ったりします。

大学には進学しましたが、当時は道路を歩くだけで、3秒後に死んでいる自分をイメージしてしまって辛かったです。毎日、踏切を渡って通学していたのですが、カンカンカンという音が本当に怖かった。ここからあと3歩前に出たら死ねるな、と思ってしまうから。窓の外を眺めるのも怖かった。2階だから捻挫ぐらいで終わっちゃうなとか、4階じゃ死にきれないかもしれないなとか、8階なら確実に行けるかな、でも強化ガラスだから割れないな、とか、考えてしまうから。

結局、死なずにここまで生きてきました。
今はとりあえず、積極的に死のうとは思っていないし、行動にも移していません。

「死にたい」気持ちは、まだずっと私の隣にいます。
ふとした瞬間に「ああ死にたい」「しんどい死にたい」「もうやだ」とブツブツ呟いてしまいます。
家族に迷惑をかけずに死ぬにはどうしたらいいかなぁ、と考えたりもしますが、どう頑張っても迷惑をかけてしまうので、なるべく、家族がいる間は死なないでいたいです。
それでも「自分なんていないほうがみんな幸せになるんだろうな」っていうのは、よく考えてしまいます。
そんなことないよ、と自分に話しかけて、なんとか維持しています。

現在進行系でしんどさも死にたさも続いているけれど、あの最悪の時期に比べたらずいぶん楽になりました。
少なくとも、笑顔を作ることはできるようになったし、涙を流さずに眠れる夜も増えました。
そして、毎日仕事に行けています。めちゃくちゃえらい。

「あの頃に比べたらマシ」と考えると、まだ頑張れます。

SEKAI NO OWARI(セカオワ)の、『銀河街の悪夢』という曲があります。
私はセカオワが好きで、2月に出たアルバムも買ったんですけど、アルバム「Tree」に収録されたこの曲は本当に怖くてフラバ起こすので聞けません。
どん底だった「あの頃」を思い出してしまうから。
でも、「あの頃」にこの歌を聞いていたら、また違った感想を持ったのかもしれません。

この曲を作詞したFukaseは、ADHDであること、精神科入院歴があることを公開しています。
「あの頃」の私と重なるところばかりで、泣きたくなります。

だって昨日も一昨日も変わろうとしてたけど
今日も僕は変われないまま今日がまた終わってく

明日また起きたら何か始めてみよう
だから今日はいつもより早く眠りにつこう
だけど眠れなくて朝日が昇るんだ
明日はもっと自分が嫌いになるのかなぁ
ーー銀河街の悪夢

 

この歌詞が辛くて聞けないということは、たぶん、私はもう「あの頃」の私じゃない。

「今、辛い思いをしているだろうけれど、この経験はいつか役に立つ日が来るよ」

高校のときの担任、木村先生がかけてくれた言葉を、今になって繰り返し思い出しています。

「あの頃」は、「いつか」なんて来るわけない、と思ってました。

でも今の私は、あの時に見た「いつか」に立っているのかもしれません。

明日に住みついてる幻覚の名前は
皆さんご存知「希望」というアレです
未来なんて来なけりゃ皆とのこの差も
これ以上は開くことは無いのにさ
ーー銀河街の悪夢

苦しみから逃れようともがくのは、「希望」を持っているから。

苦しかったけど、希望を持ち続けることには、意味があったらしいです。

 

今でも「死にたい」が出てくるけれど、そういうのは決まって、なんか具合が悪い時です。

最近眠れてないとか。
お腹減ってるとか。
暑いとか。寒いとか。季節の変わり目とか。
どっか痛いとか。風邪引いてるとか。
生理前とか。
失敗して、自分なんかダメだなぁと思った時とか。
子供に優しくできなくて、イライラしてしまった時とか。

自分が弱って、しんどい時、自動的に「死にたい」という言葉になって出てきます。
「死にたい」という言葉に囚われる前に、その手前の状態に目を向けたほうがいい。

だいたいの「死にたい」は、暖かくして甘いもの食べて好きな音楽聞いて寝たらなおります。

この辺は、mamaさんと同じこと言ってますね笑

とりあえず、死にたい気持ちをやり過ごしつつ、自分が息をできる環境にたどり着いたら、生きていけるから!!

「あの頃」の私に言いたいことはひとつ。
『結婚相手見つけて、親と縁切ったら、メチャクチャ楽になるから生き延びて!』

希望は、あるよ!

コメントする

コメントは管理者の承認後にページに表示されます。